あおぞら。

ただのサラリーマンの日常です。

あなたの仕事、誰の役にたっていますか?

 新製品の開発で社内外の人とやり取りをすることが多々あるのだが、人によっては仕事のクオリティがあまりに低くて驚かされる事がしばしばある。

 

中にはもちろんキチンとしている人も大勢いるのだが、酷い人はあまりにも酷い。

 

こちらがお願いした仕様が全く反映されていない図面を出してきたり、試作に対して変更や修正をお願いしたら露骨に嫌な態度を取るし、出してくる資料は誤字脱字だらけだ(そんな誤字脱字だらけの資料には作成者、確認者、承認者のハンコが3つ並んでいるのだが、お前らは一体全体何を確認して何に対して承認を出したんだといつか聞いてみたい)

 

そんな社内外の人間とやりとりをしているとかなりストレスフルで疲れるし、無駄な時間も沢山取られて本来やりたかった仕事や新しい技術の勉強に割きたかった時間が奪われるのでたまったもんじゃない。

 

他人の事ながら、何故こんないい加減な仕事が出来てしまうのか自分なりに考えたのだが、僕の中で行き着く結論としては「仕事を嫌々しているから」というものだ。

 

嫌々しているから仕事を適当にさっさと済ませてしまおうとするし、だから自分の作った資料の確認を怠ったり試作からの変更を嫌がったりするのでは無いかと。

 

そんな人がやる仕事はミスが多いし細部までキチンと考えられていないからクオリティが極端に低い。

 

もちろん僕だって開発途中に仕様の変更が必要になればウンザリすることもあるし、それが何度も何度も続けばいい加減にしてくれと思う。でも、その理由が納得できるものであれば受け入れて誠心誠意仕事をするし、不必要な仕様変更であると思うのならばそれをキチンと論理立てて伝える(ほとんどは受け入れられないが)。

それもこれもいいモノを作りたいからであり、自分の開発した製品が社会をちょっと良くしたり、誰かの役に立ってすごいと思ってもらえたりしたいからだ。

 

だから言われた事を何でも嫌々するのではなく、自分なりにその仕事を何故する必要があるのか納得出来るまで考えて、自分なりにどうすればより良い仕事ができるのかを考察すべきだ。

そして自分の手抜きでクオリティの低い仕事をすれば後々にユーザーや職場の同僚たちにどんな迷惑をかけるのか考えないといけない。

 

とりあえず納期内に何とか仕上げて納めたら終わり、リリース出来たら終わり何てメンタルで仕事をしていては、世の中を良くしたりユーザーに感謝されるモノを作れるわけがないと思うんだが、、、

 

 やりたい事、好きな事を仕事にするのは難しいことかもしれないし、やりたい事や好きな事が=自分が出来る事、得意なこととも限らないので、今やっている仕事が好きな仕事では無い人は多いのかもしれないが、それでも自分が決めて就いた仕事であるのならば、嫌々やるのではなく誠心誠意やって欲しいものだ。

 

何故ふとこんな事を考えたのかと言うと、最近

 スティーブ・ジョブズ驚異のイノベーション: 人生・仕事・世界を変える7つの法則

 

 と言う本を読んだ事がキッカケだと思う。

 

何故ジョブズMaciPhoneiPodなどの世の中を大きく変える製品を作れたのか。

それはユーザーの事をとことん考え、情熱を持って仕事をしていたからだ。妥協や手抜きは一切しない。

 

結局何が言いたかったのかと言うと、自分の仕事でユーザーや世の中をどう良くするのかを考え、情熱を持って行う事で、同じ仕事でも見え方が変わり仕事のクオリティが上がるのではないかと言うことだ。

仕事の出来る出来ないとは頭の良し悪しよりもそういった意識の所が大きく関わっているのではないかと思う。