あおぞら。

ただのサラリーマンの日常です。

愛車との別れ

先日15年乗った愛車を手放した。

バナナシェイク色のダイハツムーヴラテだ。

 

もうすぐ2人目の子供が産まれるため、軽自動車にチャイルドシートを2つ括り付けて4人で乗るのは少々手狭であるし、この3月末でちょうど車検も切れるのでもう少し大きな車へと買い換える事にした。

 

15年乗ったと言っても元々は母の車であったわけで、社会人になった時に駅までの通勤用の足として譲り受けたものだ。だから自分の車になったのはわずか数年前なんだけれども、共に過ごした15年という時間はかけがえのないものであった。

思い返せばこの15年、本当に色々なことがあった。

 

ムーヴラテが我が家に来たのはまだ僕が中学生の時だった。

それまでの僕の軽自動車に対するイメージは2ドアで車内はめっちゃめっちゃ狭く、後ろの席なんて座れたものではないといったものだった。 しかしムーヴラテにはドアが4つあり、コンパクトカー程度であれば普通車と比較してもさほど大差がないほど車内は広かった。

なにより、フロントガラス前に後付けで母が取り付けたナビに驚いた。ナビを生で見たのは産まれて初めてだったし、オマケにテレビまで見れた。(当時はワンセグによってようやく携帯でテレビを見ることができるようになり始めた頃であったと思う。)

そしてオーディオではCDだけでなくMDも再生できた。(今や使用している人なんかいない?)

 

新しくなった母の車が嬉しくて、僕はすぐにラテを気に入った。

こうして僕とラテの日々は始まった。

学校や塾、予備校の送り迎えや休日のお出かけ。大学に入学したときに、下宿先まで両親が送ってくれたのもラテだったし、免許を取得してから初めて公道を運転したのもラテだった。

成人式にもラテで乗り付けたし、夏休みや春休みに実家に帰省した際には母には農作業用の軽トラックで仕事に行ってもらい、兄とラテに乗って色んな所へ出かけた。免許を取ったばかりの僕たちにとっては、ラテを運転して出かける日々は大冒険で、毎日毎日飽きることもなく出かけて行った。

 

大学院を卒業し、下宿から実家に荷物を引き上げる際にも僕はラテに乗って荷物を運んだ。そんなにたくさんの荷物は乗らないけど、積めるだけ積んで高速を走ったのを覚えている。

 

社会人になって駅までの通勤用の足が無いため原付を購入しようとしていた僕に、ちょうど新しい車を買うつもりだったからと母がラテを譲ってくれた。

こうしてラテは僕が初めて所有した車にもなった。

社会人になって、わくわくして胸が躍る日も、仕事が辛くてたまらない日も、晴天で気持ちのいい日もざあざあ降りの雨の日も、暑い夏の日もフロントガラスが凍り付くような寒い冬の日もいつもラテが駅まで僕を連れて行ってくれた。

 

休日には学生時代や会社の友人を乗せて遊びに行ったり、彼女(今の嫁)と旅行にいったり、一人でドライブに出かけたり、兄とサッカーの遠征に行ったり、ラテは僕の最高の友人であり相棒として色んな所へ一緒に出掛けて行った。

 

今の嫁と結婚することになり、初めて両親に紹介するために実家へ連れてきた時も、嫁と一緒に住む新居へ荷物を運ぶ時も、僕はラテの運転席にいた。

 

そして一昨年長女が産まれた。

その冬、定期点検でラテはブレーキの摩耗やエンジンオイル漏れの異常が見つかった。車検は残り約1年だったことや購入してから約14年ともう古くなってきていることから、周囲からは新しい車への乗り換えを勧められた。でも僕は修理を依頼した。

ラテを手放すことは考えれらなかった。

修理後、ダイハツの整備士さんからは

「これで次の車検もきっと通りますよ」

 と笑顔で言われた。

ラテは万全の状態になって僕のもとへ戻って来てくれた。

 

こうして僕たち家族3人とラテは新しい春を迎えた。

菜の花や梅の花を見に行ったり、近所の川辺でお花見をしたり、買い物や娘の予防接種にとラテには相変わらずお世話になりっぱなしだった。

 

夏には3人で白浜まで旅行に行った。娘が産まれてから初めての旅行だ。

あいにくの土砂降りだったが、どんなに激しい雨が降ってもラテは小さな体に僕たちを乗せて前へ前へと進んでくれた。

僕はそんなラテが頼もしくもあり愛おしくもあった。

 

秋になると歩き始めた娘をラテに乗せて近所の緑地公園のキッズパークへと毎週のように通った。

娘もラテのことを覚えたようで、帰りに駐車場を歩いていると先に一人でラテの所まで歩いて行って僕たちが来るのを待ってくれたりした。

そんな娘とラテを見るのが微笑ましくて、たまらなく愛おしいと感じた。

 

そんな僕たちに新しい家族が加わる事が分かった。

嫁が2人目の子供を妊娠していることが分かったのだ。

僕たちは大いに喜んだ。

 

しかし直ぐに、一つの問題が話題に上がった。 

家族4人で乗る車としては、ラテは狭すぎるのだ。

 

嫁と相談し、車検の切れる3月末に新車への乗り換えを検討することになった。

この時の僕は、ラテがいなくなるかもしれない事についてあまり深く考えていなかった。

 

3月末なんてまだまだ先だし、もしかしたら下取り出来ないと言われるかもしれない。そうなったらラテは実家でまた両親に使ってもらえるかもしれない。

そんな軽い感じであったと思う。

 

12月が来て僕たちは車屋巡りを始めた。そして最終的にトヨタでワンボックスを購入する事になった。

話はどんどん進み、見積もりを出してもらう際に、トヨタの営業マンから

「お値引きとして〇〇万円引かせていただきますが、名目上は今のお車の下取りとさせていただいてよろしいですよね?」

と言われた。

 

15年、12万キロ以上走っている軽乗用車にまともな価格がつかないことはわかっていた。だからこそ、ラテがこういう形で下取りされていくことに嫁はとても喜んだ。

でも僕はその瞬間、ここで下取りに出してもいいと言えばラテがいなくなるという現実を直視せずにはいられなくなり、ひどく困惑した。

でも嫌だなんて言えるわけがなかった。

 

それからの日々はラテがいなくなると頭ではわかっていながらも、どうもピンとこない何とも表し難い時間だった。

 

こうして別れの日が近づく中、僕たちは最後にラテと一緒に旅に出る事にした。

熊野古道近くの温泉宿に一泊二日で行くプランだ。

旅行の日は直ぐにやってきた。高速に乗る前、僕はラテのガソリンを満タンにして「よろしく頼むよ」と一声かけた。

そんな僕を見て嫁は「何言ってるの」と笑った。

この日もラテは快調に走ってくれた。白浜の時と打って変わって雲一つない晴天だった。サービスエリアでご飯を食べたり、道中の観光地へ立ち寄ったりと、旅はあっという間に終わりに近づいていった。

旅の終わりが近づくにつれて、この旅が終わればラテでの遠出はもう無い、その現実からくる寂しさに僕は襲われていた。

最後の旅行も無事に終わった。最後の旅行でもラテは僕たちを安全に連れて帰ってくれた。

 

 

いよいよ納車前日がやってきた。

いつもの週末と同じように娘と緑地公園に遊びに行った帰り、僕はラテの洗車と車内の掃除を行った。

 

思い返すと洗車はコイン洗車ばかりで、こうして手で洗ってあげることはあんまり無かったなぁとか、車体に付いている傷を見てはこれはあの時の傷かなとか、この傷は記憶にないから僕ではなくて母が付けたに違いないとか、そんな事を考えていた。

そんな事を考えていたらもっと大切にしてあげられたのではないかとか思ったり、沢山色んな所へ行った思い出が思い出されたりして、気がつけば僕はラテに「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返し言いながら涙を流していた。

 

洗車が一通り終わると、家族で夕飯を食べに出かけた。

納車は明日の朝一だ。つまり、これがラテと出かける最後のお出かけになる。

夕食の帰り、口数の少なくなった僕に、嫁がある話をしてきた。その昔嫁がテレビで見た探偵ナイトスクープの話だった。

約20年乗った愛車「ヴィヴィオ君」とその持ち主の別れの話だ。その話の中で探偵の澤部が行なっていたように、嫁が僕にラテのフリをして話しかけてきた。

 

『15年間、本当にありがとう。とても楽しかったわ。』

 

嫁にとっては軽い冗談のつもりだったのかもしれない。でも僕はそんな彼女が話しかけてくる言葉に答えていた。

 

「こちらこそありがとう。とっても楽しかったよ。」

『色んな所へ行ったね。』

「そうだね。でも君は一度も大きな事故を起こさなかった。本当に素晴らしい車だったよ。」

『うん。最後までみんなを守り抜いたよ。』

「・・本当にありがとう・・・・・。お別れは寂しいね・・・。」

『そうだね。でも私、もう疲れてきちゃったから、ちょっとお休みさせてもらうね。あなたは新しい車と素敵な思い出を作っていってね。』

 

僕は気がつけばまた涙を流していた。嫁に気づかれたくなくて必死に堪えていたが、目の中に貯めきれなくなった涙が頬を伝って落ちてしまった。

僕は泣くのをこらえる事が精一杯で、途中から無言になってしまった。

こうしてちょっと遠回りして家に帰った僕たちの最後のお出かけは終わった。

 

 

そして納車の日の朝を迎えた。

家の駐車場でラテと沢山写真を撮った。ラテの横に娘と並んで撮った写真。娘がラテに寄りかかった写真。僕が運転席に座っている写真。・・・

そうこうしている内に約束の時間が来た。僕たちはラテに乗り込みトヨタへと向かった。これがラテに乗る本当に最後だ。僕はいつにもなく、ゆっくりゆっくりラテとの別れを惜しむように走った。でも、そんな僕の気持ちとは裏腹にトヨタへはあっという間に着いてしまった。

 

トヨタの人達は皆歓迎ムードで僕たちを迎えてくれた。嫁もとても嬉しそうに、ニコニコしていた。

でも僕は泣きそうになるのを堪えながら平静を装うので精一杯だった。

 

事務所で一通りの手続きと説明を聞いた後、新車に案内された。新車の操作方法を聞いた後、最後に何かありますかとトヨタの営業マンに聞かれた。

僕たちは最後に新車とラテと僕たち3人で写真を撮ってほしいと言った。

カメラを向けられた時、僕は笑った。ラテとのこれまでを思い返して。そして新しい相棒とのこれからを思って。

 

ついに別れの時がきた。 僕はありがとうとお疲れ様の念を込め、最後にラテのボンネットをポンポンと叩いた。

そんな僕をトヨタの営業マンも嫁も微笑んで見ていた。

 

いよいよ僕たちは新車に乗り込んだ。僕はトヨタの駐車場から出る時、チラリとラテの方を向いた。

ありがとう。

もう一度僕は心の中でラテに呟いた。これが僕がラテを見た最後だった。

 

一旦帰宅したのち、新車のお祓いへ向かうことにした。その道中、トヨタの前を通った。僕は期待して駐車場の方を向いた。しかしそこにはもうラテの姿は無かった。