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むーみん協奏曲

ただのサラリーマンの日常です。

日々是好日

放置しすぎてまだ石垣島の旅記録も書ききれてはおりませんが、今日あったことを書いてみようと思います。
(11月の頭に仕事で北海道に行ったことも記事にしたいと考えてますが、この分だと怪しいです(笑))

今日は鈴虫寺に行って来ました。去年の秋にもお参りをさせていただいたのですが、今年も是非行きたいと思っていて、なんとか年内にお参りに行けました。

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(鈴虫寺の門の写真です。)

鈴虫寺にはわらじを履いたお地蔵さんがおられて、お守りを買って願いをすると、1つだけ願いを叶えてくださると言われているお寺です。

そもそも鈴虫寺は正式名称が華厳寺という名前だそうです。(今日住職さんから聞きました)

鈴虫寺と呼ばれるようになったのは、かつての住職さんが禅を組んでいる時、鈴虫の鳴き声を耳にしたことで
『寿命がわずか数週間の虫でもキレイな声で必死に泣いているのだなぁ』
としみじみと思ったことがきっかけで悟りをひらき、是非皆さんにも鈴虫の鳴き声を聞いて欲しいと言うことで飼育を始めたことに由来しています。

お庭がキレイなこと、鈴虫の鳴き声が聞けることに加え、お願い事を叶えたい煩悩にまみれた人間で土日祝日は大行列が出来るそうです。笑

紅葉シーズンも終わり、夕方に行ったこともあり、今日はそれほど並ばずにすぐに入れました。

参拝料500円を支払い中に入ると、お茶とお菓子、そして住職さんのお話でおもてなしをしてくださいます。

記憶が定かではないですが、昨年から住職さんは変わっていました。(昨年お参りに来た際に、検査入院をした話をされていたので、体調が良くなく、住職を変わられたのかもしれません。)

今日の住職さんの話の中で出てきた言葉が
『日々是好日』
です。

にちにちこれこうじつ
と読む仏教の言葉だそうで、その意味は単純に毎日がいい日ならいいのに~なんて軽いものではありません。

人間に出来ることは限られています。
未来に行って未来の世界を覗くことも、過去に行って過去の過ちの一つすら正すことが出来ない。

ただ出来るのは今を生きることだけ

過ぎてしまった過去にとらわれて心が今に無いことや、まだ来ぬ未来のことに不安を感じて今に心が無いことなんて、今を懸命に生きる上で本当は必要の無いもの。

しかし、そういったものに囚われている人は実際多いこと多いこと。

そう言う僕もそういった人間なんですけどね(笑)

もう1つ、禅の言葉で『即今 当処 自己 』という言葉をいたただきました。

即今とは、言葉の通り今正にこの瞬間のこと
当処とは、今自分のいるところ
自己とは、自分自身のこと

つまり『即今 当処 自己』とは今自分の置かれている状況の中で、自分が出来ることを、自分なりに精一杯やること、それこそが生きるということだという教えなのです。

過ぎ去った過去や遠い未来ばかりを考えるのではなく、今正にこの瞬間を精一杯生きねばならないのです。

仕事をするということは自分の限られた時間を使うということ、つまり自分の命を使うこと。
いい加減に仕事をするということはいい加減に自分の命を使うということになります。

これは何も仕事に限ったことではないと思います。

人生辛いことも、悲しいことも、どうしようもないことも、嬉しいことも、楽しいこともたくさんあるでしょう。でも、どんなことがあっても一喜一憂せず、今を懸命に生きる。

その結果付いてくるのが『思い返せば、いい毎日だった』という思いなのです。
それが『日日是好日』なのです。