あおぞら。

ただのサラリーマンの日常です。

愛車との別れ

先日15年乗った愛車を手放した。

バナナシェイク色のダイハツムーヴラテだ。

 

もうすぐ2人目の子供が産まれるため、軽自動車にチャイルドシートを2つ括り付けて4人で乗るのは少々手狭であるし、この3月末でちょうど車検も切れるのでもう少し大きな車へと買い換える事にした。

 

15年乗ったと言っても元々は母の車であったわけで、社会人になった時に駅までの通勤用の足として譲り受けたものだ。だから自分の車になったのはわずか数年前なんだけれども、共に過ごした15年という時間はかけがえのないものであった。

思い返せばこの15年、本当に色々なことがあった。

 

ムーヴラテが我が家に来たのはまだ僕が中学生の時だった。

それまでの僕の軽自動車に対するイメージは2ドアで車内はめっちゃめっちゃ狭く、後ろの席なんて座れたものではないといったものだった。 しかしムーヴラテにはドアが4つあり、コンパクトカー程度であれば普通車と比較してもさほど大差がないほど車内は広かった。

なにより、フロントガラス前に後付けで母が取り付けたナビに驚いた。ナビを生で見たのは産まれて初めてだったし、オマケにテレビまで見れた。(当時はワンセグによってようやく携帯でテレビを見ることができるようになり始めた頃であったと思う。)

そしてオーディオではCDだけでなくMDも再生できた。(今や使用している人なんかいない?)

 

新しくなった母の車が嬉しくて、僕はすぐにラテを気に入った。

こうして僕とラテの日々は始まった。

学校や塾、予備校の送り迎えや休日のお出かけ。大学に入学したときに、下宿先まで両親が送ってくれたのもラテだったし、免許を取得してから初めて公道を運転したのもラテだった。

成人式にもラテで乗り付けたし、夏休みや春休みに実家に帰省した際には母には農作業用の軽トラックで仕事に行ってもらい、兄とラテに乗って色んな所へ出かけた。免許を取ったばかりの僕たちにとっては、ラテを運転して出かける日々は大冒険で、毎日毎日飽きることもなく出かけて行った。

 

大学院を卒業し、下宿から実家に荷物を引き上げる際にも僕はラテに乗って荷物を運んだ。そんなにたくさんの荷物は乗らないけど、積めるだけ積んで高速を走ったのを覚えている。

 

社会人になって駅までの通勤用の足が無いため原付を購入しようとしていた僕に、ちょうど新しい車を買うつもりだったからと母がラテを譲ってくれた。

こうしてラテは僕が初めて所有した車にもなった。

社会人になって、わくわくして胸が躍る日も、仕事が辛くてたまらない日も、晴天で気持ちのいい日もざあざあ降りの雨の日も、暑い夏の日もフロントガラスが凍り付くような寒い冬の日もいつもラテが駅まで僕を連れて行ってくれた。

 

休日には学生時代や会社の友人を乗せて遊びに行ったり、彼女(今の嫁)と旅行にいったり、一人でドライブに出かけたり、兄とサッカーの遠征に行ったり、ラテは僕の最高の友人であり相棒として色んな所へ一緒に出掛けて行った。

 

今の嫁と結婚することになり、初めて両親に紹介するために実家へ連れてきた時も、嫁と一緒に住む新居へ荷物を運ぶ時も、僕はラテの運転席にいた。

 

そして一昨年長女が産まれた。

その冬、定期点検でラテはブレーキの摩耗やエンジンオイル漏れの異常が見つかった。車検は残り約1年だったことや購入してから約14年ともう古くなってきていることから、周囲からは新しい車への乗り換えを勧められた。でも僕は修理を依頼した。

ラテを手放すことは考えれらなかった。

修理後、ダイハツの整備士さんからは

「これで次の車検もきっと通りますよ」

 と笑顔で言われた。

ラテは万全の状態になって僕のもとへ戻って来てくれた。

 

こうして僕たち家族3人とラテは新しい春を迎えた。

菜の花や梅の花を見に行ったり、近所の川辺でお花見をしたり、買い物や娘の予防接種にとラテには相変わらずお世話になりっぱなしだった。

 

夏には3人で白浜まで旅行に行った。娘が産まれてから初めての旅行だ。

あいにくの土砂降りだったが、どんなに激しい雨が降ってもラテは小さな体に僕たちを乗せて前へ前へと進んでくれた。

僕はそんなラテが頼もしくもあり愛おしくもあった。

 

秋になると歩き始めた娘をラテに乗せて近所の緑地公園のキッズパークへと毎週のように通った。

娘もラテのことを覚えたようで、帰りに駐車場を歩いていると先に一人でラテの所まで歩いて行って僕たちが来るのを待ってくれたりした。

そんな娘とラテを見るのが微笑ましくて、たまらなく愛おしいと感じた。

 

そんな僕たちに新しい家族が加わる事が分かった。

嫁が2人目の子供を妊娠していることが分かったのだ。

僕たちは大いに喜んだ。

 

しかし直ぐに、一つの問題が話題に上がった。 

家族4人で乗る車としては、ラテは狭すぎるのだ。

 

嫁と相談し、車検の切れる3月末に新車への乗り換えを検討することになった。

この時の僕は、ラテがいなくなるかもしれない事についてあまり深く考えていなかった。

 

3月末なんてまだまだ先だし、もしかしたら下取り出来ないと言われるかもしれない。そうなったらラテは実家でまた両親に使ってもらえるかもしれない。

そんな軽い感じであったと思う。

 

12月が来て僕たちは車屋巡りを始めた。そして最終的にトヨタでワンボックスを購入する事になった。

話はどんどん進み、見積もりを出してもらう際に、トヨタの営業マンから

「お値引きとして〇〇万円引かせていただきますが、名目上は今のお車の下取りとさせていただいてよろしいですよね?」

と言われた。

 

15年、12万キロ以上走っている軽乗用車にまともな価格がつかないことはわかっていた。だからこそ、ラテがこういう形で下取りされていくことに嫁はとても喜んだ。

でも僕はその瞬間、ここで下取りに出してもいいと言えばラテがいなくなるという現実を直視せずにはいられなくなり、ひどく困惑した。

でも嫌だなんて言えるわけがなかった。

 

それからの日々はラテがいなくなると頭ではわかっていながらも、どうもピンとこない何とも表し難い時間だった。

 

こうして別れの日が近づく中、僕たちは最後にラテと一緒に旅に出る事にした。

熊野古道近くの温泉宿に一泊二日で行くプランだ。

旅行の日は直ぐにやってきた。高速に乗る前、僕はラテのガソリンを満タンにして「よろしく頼むよ」と一声かけた。

そんな僕を見て嫁は「何言ってるの」と笑った。

この日もラテは快調に走ってくれた。白浜の時と打って変わって雲一つない晴天だった。サービスエリアでご飯を食べたり、道中の観光地へ立ち寄ったりと、旅はあっという間に終わりに近づいていった。

旅の終わりが近づくにつれて、この旅が終わればラテでの遠出はもう無い、その現実からくる寂しさに僕は襲われていた。

最後の旅行も無事に終わった。最後の旅行でもラテは僕たちを安全に連れて帰ってくれた。

 

 

いよいよ納車前日がやってきた。

いつもの週末と同じように娘と緑地公園に遊びに行った帰り、僕はラテの洗車と車内の掃除を行った。

 

思い返すと洗車はコイン洗車ばかりで、こうして手で洗ってあげることはあんまり無かったなぁとか、車体に付いている傷を見てはこれはあの時の傷かなとか、この傷は記憶にないから僕ではなくて母が付けたに違いないとか、そんな事を考えていた。

そんな事を考えていたらもっと大切にしてあげられたのではないかとか思ったり、沢山色んな所へ行った思い出が思い出されたりして、気がつけば僕はラテに「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返し言いながら涙を流していた。

 

洗車が一通り終わると、家族で夕飯を食べに出かけた。

納車は明日の朝一だ。つまり、これがラテと出かける最後のお出かけになる。

夕食の帰り、口数の少なくなった僕に、嫁がある話をしてきた。その昔嫁がテレビで見た探偵ナイトスクープの話だった。

約20年乗った愛車「ヴィヴィオ君」とその持ち主の別れの話だ。その話の中で探偵の澤部が行なっていたように、嫁が僕にラテのフリをして話しかけてきた。

 

『15年間、本当にありがとう。とても楽しかったわ。』

 

嫁にとっては軽い冗談のつもりだったのかもしれない。でも僕はそんな彼女が話しかけてくる言葉に答えていた。

 

「こちらこそありがとう。とっても楽しかったよ。」

『色んな所へ行ったね。』

「そうだね。でも君は一度も大きな事故を起こさなかった。本当に素晴らしい車だったよ。」

『うん。最後までみんなを守り抜いたよ。』

「・・本当にありがとう・・・・・。お別れは寂しいね・・・。」

『そうだね。でも私、もう疲れてきちゃったから、ちょっとお休みさせてもらうね。あなたは新しい車と素敵な思い出を作っていってね。』

 

僕は気がつけばまた涙を流していた。嫁に気づかれたくなくて必死に堪えていたが、目の中に貯めきれなくなった涙が頬を伝って落ちてしまった。

僕は泣くのをこらえる事が精一杯で、途中から無言になってしまった。

こうしてちょっと遠回りして家に帰った僕たちの最後のお出かけは終わった。

 

 

そして納車の日の朝を迎えた。

家の駐車場でラテと沢山写真を撮った。ラテの横に娘と並んで撮った写真。娘がラテに寄りかかった写真。僕が運転席に座っている写真。・・・

そうこうしている内に約束の時間が来た。僕たちはラテに乗り込みトヨタへと向かった。これがラテに乗る本当に最後だ。僕はいつにもなく、ゆっくりゆっくりラテとの別れを惜しむように走った。でも、そんな僕の気持ちとは裏腹にトヨタへはあっという間に着いてしまった。

 

トヨタの人達は皆歓迎ムードで僕たちを迎えてくれた。嫁もとても嬉しそうに、ニコニコしていた。

でも僕は泣きそうになるのを堪えながら平静を装うので精一杯だった。

 

事務所で一通りの手続きと説明を聞いた後、新車に案内された。新車の操作方法を聞いた後、最後に何かありますかとトヨタの営業マンに聞かれた。

僕たちは最後に新車とラテと僕たち3人で写真を撮ってほしいと言った。

カメラを向けられた時、僕は笑った。ラテとのこれまでを思い返して。そして新しい相棒とのこれからを思って。

 

ついに別れの時がきた。 僕はありがとうとお疲れ様の念を込め、最後にラテのボンネットをポンポンと叩いた。

そんな僕をトヨタの営業マンも嫁も微笑んで見ていた。

 

いよいよ僕たちは新車に乗り込んだ。僕はトヨタの駐車場から出る時、チラリとラテの方を向いた。

ありがとう。

もう一度僕は心の中でラテに呟いた。これが僕がラテを見た最後だった。

 

一旦帰宅したのち、新車のお祓いへ向かうことにした。その道中、トヨタの前を通った。僕は期待して駐車場の方を向いた。しかしそこにはもうラテの姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの仕事、誰の役にたっていますか?

 新製品の開発で社内外の人とやり取りをすることが多々あるのだが、人によっては仕事のクオリティがあまりに低くて驚かされる事がしばしばある。

 

中にはもちろんキチンとしている人も大勢いるのだが、酷い人はあまりにも酷い。

 

こちらがお願いした仕様が全く反映されていない図面を出してきたり、試作に対して変更や修正をお願いしたら露骨に嫌な態度を取るし、出してくる資料は誤字脱字だらけだ(そんな誤字脱字だらけの資料には作成者、確認者、承認者のハンコが3つ並んでいるのだが、お前らは一体全体何を確認して何に対して承認を出したんだといつか聞いてみたい)

 

そんな社内外の人間とやりとりをしているとかなりストレスフルで疲れるし、無駄な時間も沢山取られて本来やりたかった仕事や新しい技術の勉強に割きたかった時間が奪われるのでたまったもんじゃない。

 

他人の事ながら、何故こんないい加減な仕事が出来てしまうのか自分なりに考えたのだが、僕の中で行き着く結論としては「仕事を嫌々しているから」というものだ。

 

嫌々しているから仕事を適当にさっさと済ませてしまおうとするし、だから自分の作った資料の確認を怠ったり試作からの変更を嫌がったりするのでは無いかと。

 

そんな人がやる仕事はミスが多いし細部までキチンと考えられていないからクオリティが極端に低い。

 

もちろん僕だって開発途中に仕様の変更が必要になればウンザリすることもあるし、それが何度も何度も続けばいい加減にしてくれと思う。でも、その理由が納得できるものであれば受け入れて誠心誠意仕事をするし、不必要な仕様変更であると思うのならばそれをキチンと論理立てて伝える(ほとんどは受け入れられないが)。

それもこれもいいモノを作りたいからであり、自分の開発した製品が社会をちょっと良くしたり、誰かの役に立ってすごいと思ってもらえたりしたいからだ。

 

だから言われた事を何でも嫌々するのではなく、自分なりにその仕事を何故する必要があるのか納得出来るまで考えて、自分なりにどうすればより良い仕事ができるのかを考察すべきだ。

そして自分の手抜きでクオリティの低い仕事をすれば後々にユーザーや職場の同僚たちにどんな迷惑をかけるのか考えないといけない。

 

とりあえず納期内に何とか仕上げて納めたら終わり、リリース出来たら終わり何てメンタルで仕事をしていては、世の中を良くしたりユーザーに感謝されるモノを作れるわけがないと思うんだが、、、

 

 やりたい事、好きな事を仕事にするのは難しいことかもしれないし、やりたい事や好きな事が=自分が出来る事、得意なこととも限らないので、今やっている仕事が好きな仕事では無い人は多いのかもしれないが、それでも自分が決めて就いた仕事であるのならば、嫌々やるのではなく誠心誠意やって欲しいものだ。

 

何故ふとこんな事を考えたのかと言うと、最近

 スティーブ・ジョブズ驚異のイノベーション: 人生・仕事・世界を変える7つの法則

 

 と言う本を読んだ事がキッカケだと思う。

 

何故ジョブズMaciPhoneiPodなどの世の中を大きく変える製品を作れたのか。

それはユーザーの事をとことん考え、情熱を持って仕事をしていたからだ。妥協や手抜きは一切しない。

 

結局何が言いたかったのかと言うと、自分の仕事でユーザーや世の中をどう良くするのかを考え、情熱を持って行う事で、同じ仕事でも見え方が変わり仕事のクオリティが上がるのではないかと言うことだ。

仕事の出来る出来ないとは頭の良し悪しよりもそういった意識の所が大きく関わっているのではないかと思う。

 

 

 

ニューヨークの空

another skyという番組がある。

もう1つの故郷という意味らしい。著名人が出てきては、自分の思い出の海外の土地を巡って苦労話や転機になったことを話す番組だ。

先日ブレーレイの録画番組を整理していて、過去にたまたま録画されていたanother skyを見た。

現在のanother skyのセットを作ったデザイナー、佐藤オオキの話だ。

(放送は2018年2月16日)


佐藤オオキは24歳の時、これからの人生何をやろうか模索中の中、卒業旅行でミラノに来ていた。
そこでたまたま訪れたデザインの展示会に衝撃を受け、『俺がやるのはこれだ!』と思い立つとそのまま何の知識もないのにデザイン事務所『nendo』を立ち上げた。
それから紆余曲折あり、何度も事務所が潰れそうな危機に直面したが、その度に危機を乗り越えて世界的なデザイナーとなった。

まず驚くのはその決断の速さ。
旅行で来ていた異国の地で衝撃を受けたからといって、何も知らない分野でいきなり事務所なんか立ち上げるだろうか?
少なくとも僕には無理だ。

そしてそのストイックさ。
デザイン以外のことで悩みたくないので、同じ服を何着も用意し、ご飯はいつも同じ店の同じ席で同じものを食べる。
デザイン以外の出来る限りのものをルーティン化してるのだ。

これは世界的に成功している人の中の見られる傾向として非常に有名だ。
例えばスティーブ・ジョブズ
彼も同じ服を何着も用意している。

人間は決断するときに脳のエネルギーを大きく消費する。
朝起きてまず歯を磨くのか顔を洗うのか。朝御飯は何を食べるのか。服はどれを着るのか。腕時計はどれにするのか。…
こんなことを考えているうちに、脳はエネルギーをどんどん消費していき、会社に着く頃には脳は疲れ果ててしまっているということだ。


社会人になると自分の自由になる時間は激減する。結婚してからは余計に、だ。
自分がやりたいこと、やらなければならないことをやるための時間を作るためにも、生活の一部をルーティン化して迷う暇なく効率的に動くことは非常に有効な手段だと思う。

ただ、佐藤オオキが朝に寝癖をなおすのが面倒くさいので、髪を永久脱毛してカツラを一種類だけ買っておきたいと言っていたのはさすがに笑った。笑

 

好きなデザインで食べていく、生きていくんだという覚悟をもって、本当にかっこいいなと思うし、いい刺激をもらえる。


そんな感じで、楽しく拝見させてもらったのだが、見終わったときにふと僕にとってのanother skyとはどこだろうかと考えた。
僕はもう27歳になので、これまでに何ヵ国か海外にも行っているが、その中で一番自分の人生に影響を与えたのはどこか。

僕は迷うことなく、すぐに思いついた。

昨年行ったニューヨークだ。

大きな夢を持って世界中から若者がやってくるNYは活気に満ち溢れていた。
待ち行く人たちは皆、野心と希望に満ち溢れ、ギラギラしているように見えた。


普段の僕の生活は、平日の5日間が会社への往復で終わり、束の間の週末をはさんでまた平日がやってくる。
こんな毎日を送る自分を客観的に見て
「檻の中の小鳥だな」
と思っていた。

週末の少しの時間だけ放し飼いにしてもらえて、また檻の中へ帰る。
檻の中は窮屈で自由がないが、檻の中にいる限りは食べるものに困ることはない。
でも檻の中の鳥は、狭い檻の中からまだ見ぬ遠い空に憧れを抱くものだ。

そんな僕にとってNYはまさに檻の中から憧れを持って眺めている「遠い空」に思えた。

 

 

応用情報技術者を受験して合格した

4月15日に実施された平成30年春の応用情報技術者を受験し、無事に合格してました。
今回も応用情報受験に関する僕の勉強方法や試験についての感想をまとめたいと思います。

(前置きとして、昨年10月に基本情報技術者を受験し、合格していたので今回は応用情報を受けました。
基本情報の記事はこちら
基本情報技術者試験を受けてきた - あおぞら。
ちなみに、どちらも一発合格でした!!)


応用情報技術者試験について
 応用情報技術者試験とは、基本情報技術者と同じく独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)が主催し、合格すると経済産業大臣から合格証がもらえる国家試験になります。試験のレベルとしては情報処理技術者試験の共通キャリア・スキルフレームワーク(レベル1~4)のレベル3に位置付けられています。
詳細はIPAのHPでも確認していただけます。
IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:制度の概要:応用情報技術者試験

合格率はだいたい10%後半~20%前半程度で推移しています。前回のH29年秋は22.7%でした。
合格率だけを見れば基本情報技術者より少し難しいといった程度ですが、受験者の多くはすでに基本情報技術者に合格していたりIT技術者としての実務経験を何年も積んでいる人たちであることから、受験者のレベルが基本情報技術者よりも高いにも関わらず合格率は低いという事実があります。
一方で、応用情報技術者の午後問題では情報セキュリティ以外の分野が選択であるため、アルゴリズムやプログラミングといったIT系の初心者には難しいといわれる分野を回避して受験できることから、基本情報技術者に何度も落ちている人や基本情報技術者を受けずに受験している人が一発で合格することもしばしばあるようです。

世間的に見ればやはり「結構難しい資格」という印象があるようで、非IT系の人がIT業界に転職する際などは評価してもらえるようです。
また、IT系の会社では取得が昇進の必須条件になっていたりして持っている人がゴロゴロいるようです。(僕の会社の部署は非IT系企業のITやっている部署のためか、持っている人はほとんどおらず、持っている先輩なんかはちょっとドヤ顔しています。)

応情報技術者は基本情報技術者の上位試験になりますが、出題範囲がかなり被っているため、基本情報技術者に合格した方はすぐにでも受験した方が良いです。実際僕も昨年秋に基本情報に合格して今回の応用情報を受験しましたが、基本情報の知識がかなり残っていたため、勉強を進めるうえでとても助けられました。


■試験の構成
 応用情報技術者は午前、午後と試験が2つに分かれています。(基本情報技術者を受験されたことのある方は同じようなイメージで大丈夫です。)
午前試験はマーク式、午後試験は記述式でボーダーラインは午前、午後ともに60%。

午前はほとんどが知識を問う問題であるため、勉強は暗記メインになります。過去問と似た問題や全く同じ問題も多く出題されるため、しっかり対策すれば確実に通ります。
午後は記述式ということもあり、ビビる人が多くいますがしっかり対策すれば恐れることはありません。ただ、問題文がかなり長いため、多少の読解力が必要になります(大学入試センター試験を経験していれば大丈夫なレベルです)。
問1の情報セキュリティが必須で、問2~問11から4問を選択、全部で計5問に回答します。

※問2~問11の問題
問2:経営戦略
問3:プログラミング
問4:システムアーキテクチャ
問5:ネットワーク
問6:データベース
問7:組込みシステム
問8:情報システム開発
問9:プロジェクトマネジメント
問10:サービスマネジメント
問11:システム監査

問1、問4~問8がテクニカル系、問2がストラテジ系、問9、10、11がマネジメント系の問題になります。実際のIT技術者として働いている人はテクニカル系を、文系出身や非IT系の人はストラテジ系やマネジメント系の問題を多く選択する傾向があるようです。
どの問題を選択するかは非常に悩ましいところです。色々なサイトやブログにたくさんのアドバイスが書いているので、参考にしながら自分に合った問題を選択して勉強するようにしてください。


■試験結果
 すでに書いていますが、無事に合格することが出来ました。得点はざっくりと午前8割5分、午後7割5分でした。


■試験勉強について
 僕の試験勉強についてまとめていきます。参考にしていただければ幸いです。

・勉強開始時期
 1月の二週目あたりから勉強をはじめました。試験が4月15日であったので、約三か月勉強した計算になります。(仕事やプライベートが慌ただしくてみっちり三か月勉強できたわけではありませんが。。。)

・午前対策
 今回も過去問道場さん(応用情報技術者試験ドットコム)にお世話になりました。無料で午前試験の問題が解け、解説も見ることが出来る素晴らしいサイトです。受験者で活用していない人はほとんどいないのでは無いでしょうか。H25~H29までの計10回の過去問を通勤時間や昼休み、退社後に喫茶店などで何度も解き、すべての問題に完璧に回答できるようにしました。

上でも書きましたが、僕は基本情報に合格した次の回での受験だったので、応用情報の午前対策を全く始めていない時期でもぎりぎり6割をとることが出来ていました。しかし、基本情報を受験していない人や、合格からかなり時間がたっていて不安だという方は、まずは以下の参考書(キタミ式 応用情報技術者)で勉強を進めてみてください。

僕も購入して使っていました。かなり分厚いですが、丁寧な説明に多くのページを割いているため、読み始めるとすらすら読めてしまいます。僕も通勤時間に読み込んで基本情報受験後に忘れてしまっていた知識や、応用情報からの新たな知識を補うことが出来ました。
ネットのレビューなどではIT初心者向けのためこの参考書だけでは不十分で、合格教本など別の参考書も購入したと多くの人が書いていますが、僕はこのキタミ式と過去問道場さんだけで十分合格点に達することが出来ました。
応用情報の参考書はどれも分厚い(そして結構高い)ため、何冊も買う必要は無いと思いますよ。

・午後対策
 午後対策には「応用情報技術者 午後問題の重点対策」という問題集(通称 緑本)を使いました。ネットのレビューでもかなり評判が良く、応用情報の午後対策のバイブルになっているようです。


 
各分野ごとに実際の過去問が6題ほど(分野によって違う)掲載されています。そのため、この問題集を行うだけで約6回分の過去問を解いたのと同じことになります。
正直、緑本を進めるのはかなり時間がかかりました。途中で嫌になって挫折してしまう人も結構いるみたいです。
でも的を絞った問題の掲載と丁寧な解説があるため、この緑本でしっかりと勉強を行えば確実に実力はつきます。信じて頑張ってください。
僕は午後の問題は問1、問4、問5、問6、問7を選択しました。全てテクノロジ系の問題です。実際に業務で携わったことのある分野や得意な分野から選択問題を決めました。
あまり時間も無かったことから、実際に本番で解く予定の5つの分野以外は勉強を行いませんでした。(少し怖かったですが・・・) 

最後に、本番一週間前にH29年秋の問題を時間を計って解きました。(過去問と解答はIPAのHPから無料でダウンロードできます。)
緑本には僕が選択した分野のH29年秋の問題は載っていなかったため、全て初見でしたが、9割近く正解でき、時間も30分ほど余ったため、「これはもらったな」と思いました。


■試験本番について
・午前試験
 いきなり量子コンピューターに関する見たことの無い問題で焦りましたが、基本情報のときも最初の方に難しそうな問題を持ってきていたので、これがIPAのやり口だなと落ち着いて解き進めていきました。
ところどころ分からない問題もありましたが、解き終わったときには午前試験の通過を確信していました。過去問を解きこんだ成果ですね。
何度も見直しをして30分ほど前に途中退出しました。
IPAの公式解答での自己採点では9割ジャストだったので、どこをマークミスしたのか少し気になります。

・午後試験
 午後試験の対策していて僕が感じていたのは『記述解答の糸口は必ず問題文にある』ということ。
しかし、問一のセキュリティから「問題文に全く糸口ないやんけ!!」って問題ばかり。
かなり動揺して記述を書かずに、試験勉強でもかなりの正当率だった問7の組み込みへと移動。
しかし、組み込みも結構ややこしい問題でさらに動揺。
とりあえず問4のシステムアーキテクチャへ戻り順に解き進めるも、問5のネットワークの問題が初めて見た傾向の問題で全くわからない。
正直この時点ではかなり焦ってました。

一度深呼吸をして落ち着いてから、ネットワークを再び解いてみる。
じっくり考えると何となく「こういうことかな?」というレベルで解答を導けましたが、答えに全く自信がありませんでした。
セキュリティの問題も何度問題文を読んでも解答の糸口になるような所は無かったので、自分で考えて答えを書きました。
結局IPAの公式解答では複数の解答例が書かれており、問題文から解答の糸口を探るのではなく、知識を使って解く問題だったようです。

後日、予備校の解答やIPAの公式解答で自己採点してみたところ、一番不安だったネットワークですら6割はありそうだったので、ひとまず落ちてることは無いだろうと思っていましたが、合格発表まではやはりそわそわしました。


■今後について
基本情報は基礎知識を身に付けるために受けましたが、応用情報は資格手当て目当てでの受験でした。
手当に関して言えば、うちの会社は『応用情報技術者以上の国家資格』というくくりで一定額の手当てが支給されるため、今後高度試験にチャレンジして合格しても資格手当ての額は増えることはありません。
そのため、おそらく高度試験にはチャレンジしないと思います。
(僕は決して資格コレクターでは無いです。今は高度試験を受けるなら、プログラミングの勉強をしたい!)

応用情報に合格してから2年間は高度試験の午前Ⅰの試験が免除になるため、少しもったいないような気もしますが、、、


以上が僕の1月からの約半年間に及ぶ応用情報技術者の受験記録です。

2017年の春にQC検定2級を受験してから、半年ごとに基本情報技術者応用情報技術者と資格を受けて全て一発で合格するという目標を達成できて今はほっとしています。
本音を言えば、しばらく試験は受けたく無いですね、、、笑


最後に、この記事が少しでもこれから応用情報を受けようと思っていらっしゃる皆様のお役にたてば嬉しいです。
そして、皆様が無事に応用情報技術者に合格されることを祈っております。

仮想通貨の時代は来るか?

先日、ここでも紹介したホリエモンと落合陽一の『10年後の仕事図鑑』に
『これからは実際の貨幣は衰退していき、仮想通貨の時代になる』
といった趣旨の記載があった。

確かにその可能性は高い。
貨幣を製造するのにも当然コストがかかる。
『金を作るために金がいる』という矛盾だ。
さらにクレジットカードやデビットカードICOCASuicananacoなどお金の電子化はすでにかなり進んでいる。

小銭をじゃらじゃら持ち歩いたりATMで手数料を取られることを考えたら、電子化されたお金の持つメリットは大きい。
会計もすぐに終わるし、お釣りの渡し間違えなども起きない。

しかし、日本において仮想通貨が貨幣の主権を握るかは疑問だ。

そもそも仮想通貨は扱うのに多少なりとも知識が必要で、勉強しなければならない。
本屋に行けば仮想通貨について書かれた分厚い本が山積みされている。
日本人の大半がその山積みになってる本を購入して仮想通貨について勉強するだろうか。
ユーザー目線に立ったときに障壁が高いといえる。

また、もうひとつ大きな理由がある。
先のコインチェックの仮想通貨流出事件だ。
有名人も被害にあったことで、多くの日本人には
『仮想通貨=リスキーなもの、なんか危なそうなもの』
というイメージがより強く残ったのではないかと思う。


この先、テクノロジーの進歩に伴い貨幣の在り方はどのように変わっていくのだろうか。

アメリカなどのようにクレジットカード中心になるのか、落合陽一の言うように仮想通貨が主権を握るのか、はたまた全く新しいサービスが現れるのか。

それが結果どんな社会をもたらすのか。

とても楽しみである。

 

 

会社という湯婆婆に名前を奪われたエンジニアたち

先日、「10年後の仕事図鑑」を読んだ。

著者はホリエモンと落合陽一で、個人的に二人とも好きなので、本屋に立ち寄った際に新刊コーナーでこの本が特集されていたのを見て購入した。

内容は、昨今そこら中で聞く「AIが今後の世界をどう変えるか」という視点で、未来の仕事を考るものになっている。
その中で印象的だったフレーズが「会社員は湯婆婆に名前を奪われた人達」だ。
僕が普段抱えていたモヤモヤを実に的確に表している言葉だと思う。

「湯婆婆に名前を奪われた」とは何なのか。それを本の中ではエジソンを例に挙げて説明している。
簡単に言うと、蓄音機を僕らはもちろん「エジソンの発明した蓄音機」として周知しているけれど、もしエジソンがどこかの会社の研究員だった場合、それは「○○会社の開発した蓄音機」、になってしまうということだ。


会社に入り二年が経ち、エンジニアとしてプログラムを書くことも増えてきた。
中には難しい要求や複雑な処理を実現しなければならず、頭をひねらせながら試行錯誤し、時には海外のサイトにも情報収集に行く(もちろん全て英語だ)。
そしてようやく書き上げた一つのプログラム。僕にとっては大事な大事な、自分の子供のような存在だ。
しかし、会社員として僕が作ったプログラムは僕のモノではないのだ。
それは会社の製品、会社のツールであり、著作権も会社のものだ。
社内ではまだ「あいつの作ったプログラム」くらいには言われるけど、世(会社の外)に出るときには僕の名前はどこにもない。

僕は大切な大切な子供たちの「親」でいられないことが、切なくてたまらなかった。
まさに「湯婆婆に名前を奪われた千尋」だった。


昨年、人手が足りず既存ツールの変更を外注に委託した。先日そのツールを再度変更する必要があり、僕が変更を担当した。

ソースを開いてびっくり。そこら中に外注担当者の名前がコメントアウトされていた。
ベテランエンジニアの人たちは
「外注の人はよくこういうことをやるよ。「俺が書いたぜ」と客にアピールしたいのかな」
と笑っていた。
僕はまさしくその通りなのではないかと思う。
その会社にソースを書いた人を明記する、という決まりがあるかもしれない。
しかし、これは名前を奪わたエンジニアの小さな叫び声なのかもしれない。 

 

 

 

C言語への誘い

今年度が始まってもう二ヶ月だ。

昨年度まで仕事ではほとんどC#ばかり使っていたわけで、今ではC#での開発は自分の中でも不自由なく行えるようになった。
なのに今期が始まってみると、課題として渡されたのはC言語メインの開発。しかも開発環境はLinuxサーバなのでViコマンドを使わなければならない。

「ちょっと待ってください。C言語とかほとんどやったことないんですけど。
とりあえずやってみてで素人がやれるんだったら、どこの企業も社員教育に苦労しませんぜ旦那ぁ」
なんて上司に言えるわけもなく、笑顔で「はい。頑張ります。」と答えたものの、なかなか苦しんでいる。

僕のC言語の経験を以下に簡単にまとめたい。
・大学一回性の時の情報の授業で少し勉強した。
・大学二回生の時の演習の授業で簡単なシミュレーションプログラムを作った。
・M1の時に過去の先輩の作ったシミュレーションプログラムを数行いじった。
・昨年の年末、社内ツールの手直しを行った(これももとのプログラムをちょっといじっただけ)。その際に大学一回生の時に使っていたC言語の参考書を引っ張り出してきて一通り読み直した。

お恥ずかしい話、昨年末にC言語の参考書を読み直すまで、C言語にstringが無いこと(文字はcharの配列やポインタで扱うこと)、ポインタ、構造体などのC言語の基本となることを何も知りませんでした。
これで「一応C言語は少しやってました。」なんてドヤ顔で言ってたわけだから、なんとも恥ずかしい話である。

年末に何とかC言語の基本を頭に叩き込んだわけだが、年が明けてから三月末までまたC#で開発を行っていたわけだから、頭の中は完全にC#に逆戻り。

コンパイルが成功しないと思ったら
for(int i=0;・・・)
なんて書いていたり。
(C#ではfor文の中で変数iを宣言してよいが、C言語ではfor文の前であらかじめ宣言しておかなければならない。)

ようやくC言語とViに慣れてきたころに連休突入。。。

 


とまあ色々大変なことはあったけれど、新しい言語を修得していくことはそれはそれで面白い。
何だかんだで開発も順調?に進んでいるし。


何かC言語の良い本無いですかね?