あおぞら。

ただのサラリーマンの日常です。

北風と太陽に学ぶエンジニアリング

先日、ふらっと本屋さんを歩いていて面白そうな本があったので購入してみた。

『仕掛学』というタイトルの本で、仕掛けを用いて人間の行動を自分の期待する方へと上手く誘導するという内容だった。
例えば、ポイ捨ての多い所にミニチュアの鳥居を設置したり、自転車などの盗難が多い所に人の目を書いたポスターを貼ってみたり。
そうすれば、ポイ捨てや自転車の盗難が減るという。
(本来ならそもそもポイ捨てなどすべきではないという話は置いておいて)確かにミニチュアであろうと、鳥居が置いてあるところでは、なんとなく罰当たりになりそうなことは控えたくなるのはわかる。

この本の中で例として取り上げられていたのが『北風と太陽』だ。
みなさんご存じだと思うが、北風と太陽がとある旅人の上着をどちらが先に脱がすことが出来るか勝負をする、という話だ。
北風は上着を吹き飛ばそうと力一杯風を起こした。しかし風を起こせば起こすほど、旅人は寒がり上着にくるまってしまった。
一方、太陽は日差しを強くすることで旅人を暑がらせ、上着を脱がすことに成功したのだ。

子供のころ、この話を読んだ私は大きな衝撃を受けた。
幼い私はこの勝負は北風が勝つに違いないと予想した。北風は風を起こすことが出来る。だから上着を吹き飛ばしてしまえばいいと思ったのだ。
しかし私の予想は外れ、太陽が勝った。
私は
『そんな手があったのか』
と度肝を抜かれた。


この本の最後の方には技術者は自らの技術に固執しすぎているという話があった。
技術者は何か問題を解決する時、技術ばかりに目が行きがちである。自らの持つ最高の技術を駆使して、なんとか解決しようとする。しかし、見方を変えれば何てことない簡単なことだった、いうことが多々あるのだ。
たくさんの費用と最新の技術を用いて、難解な数式を解いたすえに開発された製品が最高の製品というわけではない。
仕掛学の本には一方ロシアは鉛筆を使ったというアメリカンジョークと共に書かれていた。


エンジニアは技術による対価として給料をもらう。だから、自身の技術を磨かないといけない。
それゆえストイックで野心溢れるエンジニアであればあるほど、最先端の技術や幅広い技術を学びたいと思うだろう。
そうして身につけた技術に誇りと自信を持つことは当然と言えば当然のことだと思う。

エンジニアは問題に対して、技術を用いてアプローチしている。
技術はいわば答えを導くための手段なのだ。
電磁気学のテストで過渡現象を解くにはラプラス変換を用いればよい、といった学生の頃のテストの解法のようなものなのだ。

しかし、エンジニアがいるのは正しい答えが何なのかわからない世界で、自分なりに正しいと思う答えを設定しなければならないのだ。
北風と太陽のように答えがわかっている世界ではない。

技術をたくさん知るということは与えられた答えに対して用いることの出来るかもしれないアプローチをたくさん知っているという事である。
しかし、技術は自分が設定した答えが本当に一番正しい答えであるという事(つまり何を作ればいいのかという事)までは教えてくれるわけではない。

エンジニアは技術を磨き続けないといけない。しかし自らの技術に溺れてはいけないのだ。

答えもその解法も、北風のように解くのか、太陽のように解くのか常に頭を悩ませる必要がある。