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むーみん協奏曲

ただのサラリーマンの日常です。

下克上受験

今回の記事のタイトルは、ご存知の方も多いと思いますが、今クールにやっていた阿部サダヲのドラマ名です。

このドラマは、中卒の父親が自分のような人生を歩ませたくないと娘を日本一の難関女子中 桜葉学園(おそらく桜蔭のことかな?)に合格させようと、自らが勉強を教えて中学受験させるというストーリーです。

僕は普段あまりドラマを見ませんが、僕自身中学受験を経験した者として興味があり、このドラマを見てみようと決めていました。
この話、どうやら実話らしいですね!
これを機会に僕の受験話でも書いていきたいと思います。


僕は大学、大学院生時代にバイトで家庭教師をしていましたし、その中で人に何かを教えることが楽しいと思っていたため、将来我が子には高校入学まで勉強を教えたいな~と思っていたいました(さすがに高校内容はもう無理です笑)。

そのため父親が自分で教える、という内容にも興味がありました。

ドラマはいいリズムでストーリーが進み、また実話を元にしているだけあって、中学受験に挑む親子の葛藤が上手く描かれていたと思います。

特に最終回の1つ前の回、三学期に学校を休むシーンや受験本番の描写なんかを見ていると昔の自分を思い出して感情がたかぶり、泣きそうになりました。

結果、志望校に落ちてしまいましたが、レベルのそう変わらない難関校に合格できたみたいでよかったです。
これから大学受験に挑まれるとのことで、志望校合格を目指して頑張って欲しいですね!



僕自身、大した学歴を持ち合わせてる訳ではありません。
だから学歴の話が大嫌いです。いわゆる学歴コンプというやつです。

僕が中学受験をしたきっかけは、ドラマと同じような感じで、僕の両親はともに、大学受験の頃に浪人をしてまで志望校を目指したが、結局志望校には合格できず、我が子にはなんとしてもいい大学に行って欲しい、そのためにまずは中学受験で良い中学に入れたい、という思いがあったからだそうです。

中学受験をするために勉強を初めた頃は京都にある某有名難関私立校2校のうち、どちらかに受かって欲しいという両親の希望もあり、漠然とその2校を目指していました。
しかし、小学生の頃の僕はとりあえず頭が悪かった。いや、頭が悪かったと言う言い方は正しくないのかもしれません。
とにかく勉強しなかった。部屋に籠って勉強をしているフリをしては漫画を読んだりしてました。
それでも、毎週休まず塾に行ってノートを取り、最低限の宿題はこなしていたため、成績はそこまで悪くありませんでした。
(宿題といってもノートを見ながら問題を解いて○×をつけ、間違えたところは赤で答えを書いて終了、といった何ともいい加減なものでした。それでは何も身に付きませんよね。笑)


塾では入塾した小4の頃からずっと4クラスあるうち、上から2番目のクラスにいましたし、先生達からも
『今の成績なら、6年生になってからの追い込み次第で志望校は合格圏内ですよ!』
と言われていました。

しかし、その6年生が近づいてきた5年生の冬に成績がめちゃめちゃ落ちました。
理由は簡単で、5年生の頃から真剣に勉強を始めた子達の成績が上がり初めたからです。

その結果、僕は1つ下のクラスに降格という屈辱を味わいました。
さすがに悔しかったこともあり、少し真面目に勉強を始めました。

ここから大学受験に至るまで、僕にとって大きな壁となっていた問題に初めてぶつかりました。

それは、
『成績を上げるためにはどうやって勉強をすればいいのか、その勉強法がわからない』
ということです。

これは今、過去を振り替えって
『あの頃はどうやったら成績が上がるかなど何も考えず、闇雲に勉強していたなぁ』
と思うことから、後付けで言っていることであって、その当時に『どういう勉強法を取り入れたら成績が上がるか』など考えてもいませんでした。

とりあえず闇雲に毎週与えられる宿題を少しだけ真面目に解きました。

マンガやドラマで良くある、『努力すれば報われる!』ということだけを真に受け、何をどう頑張るかというプロセスを全く考えず、とにかく努力すれば賢くなれると思ってました。

それでも少しだけ勉強に対して真面目に向き合い初めた分、成績はV字回復をし、小6の春には元々いたクラスに昇格することが出来ました。
これに安心したのもつかの間、夏前には再び大きく成績が落ちてしまい、再び降格がほぼ確実な状況になってしまいました。
僕はどうしたらいいのかわからなくなってしまい、困り果てていました。

その時、母が
『一度環境を変えてみてはどうか』
と別の塾に移ることを勧めてくれました。

元々いた塾には小学校の友達もおり、再度降格する辱しめを受けるくらいならと塾を変えることにしました。

しかし、新しく行った塾は灘中などの合格者を多数出している塾で、レベルが高いことで有名でした。

実際入塾してみて、周りのレベルがめちゃめちゃ高いことや前の塾では考えられないほど先生が厳しいこと(とりあえずめちゃめちゃキレる!)に驚きました。

僕は怖じ気づき、恥ずかしくてそれまでの志望校の名前など出せなくなり、あっさりとワンランク下の中学に志望校を変えました。

また先生に怒られたくない一心で初めて自分なりに成績を上げる方法を考えました。

それが
『とりあえず丸暗記する』
というものでした。

子供の考えた浅はかなことでした。

とりあえず宿題を行い、片っ端から解法や答えを覚えていきました。

そのおかげか、小テストの成績は驚くほど上がりました。もともと社会が得意だったので覚えることは嫌いでは無かったみたいです。

模試の成績も少しだけ良くなり、塾の先生には
『(ワンランク下げた)志望校には十分合格可能』
だと言われました。

しかしながら、志望校にはあと10数点足りず、中学受験に失敗。

丸暗記するだけでは根本をしっかり理解しているわけではなく、ただの付け焼き刃だったのでしょうね。

結局、練習で受けた地元の私立中学と塾の先生から勧められた京都の私立中学しか合格出来ませんでした。どちらも『賢い』と言われるような学校ではありませんでした。

僕はどの中学へ行くのか選択を迫られました。
そこで下克上受験のかおりちゃんと同じく、僕も
『みんな受験したこと知ってるのに今さら公立になんて行けない 』
と思いました。

そして
『京都の私立ならみんなもわからないし大丈夫だろう』
と母校となる中学への入学を決意しました。

僕の母校は特進クラスのようなものを作って、進学実績を上げるために必死になっている学校でした。実際その努力により、東大や京大にも片手で数えられる程度は合格していました。
しかしながら、京都の人たちには公立高校の滑り止め私立というイメージが強く、名前を出せばバカにされるような学校だと思います。


中学入学にともない、僕は塾の中学部へそのまま上がり、高校受験での難関私立への挑戦を決めました。

中1からしっかりと塾のカリキュラムに乗って勉強を行い、また一応は私立中の授業を受けていたため、成績は基本的にずいぶん良かったです。

優秀な子達は中学受験で難関校に入学するため、実際ライバルはほとんどいなくなります。それもあり、僕は小学生の時は夢のまた夢であった塾の模試の成績優秀者にも名前が載ったりしました。
中学の成績も上位10%には常に入っていました。

そんな状況において、塾の先生からも
『小学生の頃、諦めた志望校の高等部になら確実に合格できる』
と言ってもらいました。

しかし、思春期真っ只中の僕には、その高校へ行くには大きな問題がありました。
その高校は校則が厳しく、頭髪は刈り上げか丸坊主にする必要があったためです。

塾の成績が良かったこともあり、
『今さらあんな学校こっちから願い下げじゃ。もっと偏差値の高い、自由な校風の学校に行ったるわ。』
と志望校を別の高校にしました。

そしていよいよ中3になりました。中2までは塾でも中学でも同じような内容をやっていました。
しかし、塾では高校受験に向けて本格的に受験勉強が始まり、中学では高校の単元の授業が始まりました。

そのため、二足のわらじを履くのはかなりきつかったですが、僕は必死に食らいつき、何とか成績をキープしました。

そして迎えた高校受験。

僕は志望校にあと3点足りずに不合格となり、無様にもそのまま母校の高等部へ進学することになりました。

受験直後はかなり絶望していましたが、いざ高校生活が始まればそれに慣れてしまい、楽しく過ごすことが出来ました。

部活や彼女や勉強、趣味など普通の高校生らしい充実した日々を送り、僕は結果この高校に来て良かったと思っていました。

正直今もその思いは変わっていませんし、母校のことは好きです。

勉強の方はと言いますと、高校入学当初から模試も生活が良く、定期テストも毎回しっかり勉強して常に上位にいました。

特に中学時代得意だった数学は高2の夏頃まで偏差値は70近くありました。

この頃からぼんやりと志望校を京都大学に決めていました。

やっぱり関西の人間にとって京大は憧れでした。阪大、神大には見向きもせず、
『やっぱり行くなら京大やな』
とぼんやりと考えたいたのです。

中学受験、高校受験を失敗していながら、高校入学以降の成績が良かったこともあり、自分にとったら、本気を出せば京大合格なんて大して難しいミッションでは無いように感じていました。

しかし、高2の秋の模試で、突如僕の成績は暴落。

定期テストの勉強は頑張っていましたし、その結果毎回上位の成績を取っていましたが、復習は一切やっておらず、テストが終わると内容はほとんど忘れてしまっていました。それでも模試の成績が良かったのは、中学時代の貯金があったからです。

その貯金が底をついたとき、僕の成績はとんでもない状態になっていました。

僕は焦って駿台に入塾し、死に物狂いで勉強を始めました。

そこで困ったことが、現役時代の大学受験の予備校の授業は自分で選択するため、高校受験までの塾のように入塾してカリキュラムに乗っていれば大丈夫!というわけではなかったことです。

そこで僕は僕なりに京大合格に向けてのプランを立てました。
まず受講する授業は苦手だった英語と人気講師のいた化学を選択しました。

そして毎日のように自習室に籠っては勉強に打ち込みました。

しかし、ここでも勉強法に『とりあえず目の前の問題を解きまくり、内容や解法を暗記する』というおろかな策を取ってしまいました。

暗記するにしても、どうすればより暗記できるかなどは一切かんがえず、ひたむきに量をこなせば覚えるはずだ!と楽観視してました。

しかし、この手法で成績を爆発的に上げるには大学受験は勉強範囲が広すぎました。

結局京大は2回ほどD判定が出た以外は全てE判定で、担任に神大などへの志望校変更を勧められるなか
『落ちたら浪人する覚悟はできている』
と強引に説得して京大に特攻。

見事に散ったのでした。

京大以外は考えていなかった僕は京大の合格発表の夜には両親に浪人したいことを伝え、許可をもらいました。
そして次の日からまた受験勉強を再開しました。

すると浪人生の春、ついに努力の成果のようなものが出てきました。

駿台の浪人生だけの試験では校舎の京大志望の中で5位、得意だった物理に至っては1位という成績を取ることができました。

また、5月の模試では初めて京大A判定を取ることが出来ました。

駿台の授業は学校のように時間割りが決まっているため、自分でいろいろ考えて勉強していた現役時代よりも受験勉強自体は楽に感じました。

その後、現役生の追い上げもあったのか、模試の判定はBとCを行き来していましたが、センター試験の点数もかなり高得点を取ることが出来、駿台のチューターからは
『自信を持って京大を受けてこい』
と言われました。

そして迎えた京大本番。

僕は数学の試験でほとんど完答することができず、結局その穴を最後まで埋めることは出来ませんでした。そして2度目の不合格。

そして、さすがに二浪は嫌だったため、受けていた中期日程の大学へ入学することになりました。

結局、僕は
『良い中学に入学させて、現役で志望校に合格して欲しい』
という両親の願いを何一つ叶えることが出来ず、ただの親不孝者となってしまいました。

両親や受験を影でサポートしてくれ、応援してくれていた祖父母には今も申し訳ない気持ちでいっぱいです。

浪人時代の僕はかなりストイックでした。

彼女も親しい友人も作らず、食堂などでたむろしている輩を横目に1人自習室に籠って勉強しました。

しかし、蓋を開けばそうやって彼女や友人と食堂でたむろしていた輩が京大に合格して僕は不合格という結果になりました。

この時、僕は理不尽だと感じ、そこで初めて自分のこれまでの勉強方法の何がダメだったのか真剣に考えました。

そこで効率を考えず闇雲に勉強をしていた自分に初めて気がつきました。

あれだけの時間勉強をしたのなら、もっと成績を上げる方法があったと思います。





リンカーンの言葉に
『もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうち6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう』
という言葉があります。

正にこの言葉は僕の受験失敗に対して送る言葉だと思います。

中学受験も高校受験も、そして大学受験でさえも僕は木を切ることに夢中になって、切れ味の悪い斧を使い続け、結果タイムオーバーになってしまいました。

僕の両親は決して裕福な訳でもないのに、僕のために勉強する上で最高の環境を与えてくれたと思います。

塾では各科目に対して最高レベルの講師が素晴らしい授業を与えてくれました。

しかし、どのような思考で勉強を行えばよいか、そのプロセスを教えてくれる人は一人もいませんでした。

僕は自分の不合格を誰かのせいにしている訳ではありません。
それらは自分で考え、自分で身に付けなければなりません。
僕はそれらに気がつくのが遅すぎました。

結果、難関私立高校にも京大にもあと一歩と迫りながら、
『公立高校の滑り止め私立から、宮廷の滑り止め大学に入学した平凡な学歴の男』
となってしまいました。


先日、彼女と彼女の友人、そしてその旦那さん(彼女の友人は既婚者)とご飯に行きました。
彼女の友人の旦那さんはずっと京都に住んでいた人で、今は中学教師をしています。そして、僕の母校が京都の私立だと言うと、学校名を聞かれたので答えました。すると、

『あそこめちゃめちゃええ高校やね!』

と言ってくれました。そんなこと言われると思わなかったので僕は少し嬉しい気持ちになりました。しかし、その直後に

『とりあえずめちゃめちゃ合格出してくれるから、教え子たちの滑り止めに最適やねん。てか、あそこから国公立行くってめちゃめちゃ無理したんちゃうん?受験勉強大変やったやろ?』

と失礼極まりない発言をされました。

こういったら何ですが、自身も大した学歴は無く、私大の体育科か何かを出た後に中学の体育教師になり、自分でも『頭の方は中学生の方が賢い』といって笑いを取るような男でした。

そんな男に僕の大学入学までの19年間の努力を全て否定された気持ちになり、怒りがこみ上げてきました。

彼女と彼女の友人が必死にフォローしてくれましたし(彼は悪気があって言っているわけではなく、少し抜けているとこがある、と。それで許す理由にはならんと思いますが…(笑))、僕も大人なので怒鳴ったりしませんでしたが悲しい気持ちになりました。

しかし、これが僕の置かれている現実でした。

僕はドラマで阿部サダヲが言っていた
『自分のキャリアについて聞かれるたび、中卒なのは家庭の事情だと説明しないといけない。』
という言葉は痛いほどわかります。

今回のように学歴の話になるたび、
『母校の高校は決して偏差値の高い高校ではない。ただ、もともと目指していた難関校にあと3点で落ちてしまい入った高校だ。大学だって京大に受かりそうだった。本番の数学がもう少し自分に合った問題だったら合格していた。』
と言ってきたからです。


もし、これから受験に向かう中学生、高校生諸君が何かの間違いでこのブログを見ていたら、僕のようにならないためにも今一度自分に問うて欲しい。

君は切れ味の悪い斧で必死に木を切ってはいないか、と。