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むーみん協奏曲

ただのサラリーマンの日常です。

自覚

昨日、教育係の人事に同期全員とぶちギレられた。

『お前ら全員会社にとっていらんねん。残りの研修打ちきりや!好きにせぇ。』

就職して2週間で会社を首になった(笑)

いや、笑い事ではないが。

ここだけ見たらどんなブラック企業だと思うかもしれない。でも今回は僕らが悪い。

怒られた理由は単純だった。僕らが教えられた、注意されたすごく些細なことを何もやらなかったからだ。

提出する報告書が稚拙なことや勤務態度の悪さでいらいらが溜まっていたらしい。
昨日野外研修の帰りに階段いっぱいに広がって、大きな声で話す同期たちを見て我慢の限界を超えたみたいだった。
それに対して注意されたにも関わらず、大きな声で話していたせいか無視。

教育係の人のすぐ後ろを歩いていた僕ら数人に対して一言。
『お前らが静かにさせろ』
その目は本気で起こっていた。

幸い僕らは2列に整列し、静かに歩いていた。でもそんな数人ルールを守る人間がいても、組織として乱れていては意味がない。

それが社会なのだ。

昨日の夜、いろいろと考えた。

出てきた感情は2つ。悔しさと申し訳なさ。

悔しさはもちろん自分に対して。
研修態度を見直して金をもらうに値する新入社員だったかと言われると、後ろめたい点は確かにあった。いつまでも学生気分を引っ張って仕事を舐めていた節があった。
そして怒られた。そんな自分に対して腹がたって腹がたって仕方なかった。
また、教育係の人は本当に僕らのことを思って接してくれているのが伝わってくる。あえて厳しくしてくれてるのだなとわかる。説教に愛が溢れているのがわかる。そんな人の期待に応えられなかったどころか失望させ、ぶちギレさせたことに悔しさと申し訳なさを感じた。

また、俺は大学名を背負っている。あの大学のあの学科のあの教授の研究室出身なのか、と。
大学の先輩後輩、学科の先輩後輩、そして研究室の教授と先輩後輩、なにより辛いことがあってもめげずに研究をやり抜いた自分自身に対して、今の自分は申し訳ないなと思った。

中学時代、塾の宿題を全くしない僕らに対して恩師がいった。
『君達は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と思ってるのかもしれない。でも赤信号をみんなで渡ればみんな死んで終わるよ。』
結果、塾のメンバーはほぼ全員第一志望に落ちた。

今まさに同じ状況なんじゃないのかと思う。

あの頃と比べると僕はずいぶん変わった。いろんなことを経験した。

終業後、反省文を一人一枚書いて出そうと言い出した同期がいた。

恐らく先月までの僕なら同じことを思ったと思うし、これに賛同したと思う。

でも社会人として2週間働いて、その間にいろいろな研修を受けた。
その結果、僕はそれは違うんじゃないかと思った。

反省文は誰にのために書くのか?本当に教育係の人へなのか。僕達自身のためでは無いだろうか。

結局、反省文を出して反省してる感じを形で残せば、許してもらえるのではという甘い考えがそこには有るのではないかと思う。
正に学生的な甘えである。

社会というのは冷徹で残酷だと思う。要らないやつはクールに首を切ってくる。

次頑張りますなどと口に出してる間に次のチャンスは来なくなってしまう。

教育係の人は反省文が欲しくて怒ったのだろうか?
この2週間で散々使い古した謝罪や意気込みをごちゃごちゃとまた詰め込んだA4の紙なんか要らないと思う。
僕達が態度で反省を示し『あ、こいつら変わったな。怒った甲斐があったな。』
そう思わせることが大事なのでは無いかと思う。

この2週間で学生の延長のような生ぬるい気持ちでは社会人は務まらないと身にしみて感じた。

どういう人間が社会人としてのしあがるのかイメージ出来た。後は覚悟を持って死ぬ気でのしあがるだけだ。