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むーみん協奏曲

ただのサラリーマンの日常です。

人生最大の報酬は知的活動によって得られる

『人生最大の報酬は知的活動によって得られる』

キュリー夫人の言葉だ。
放射線の研究における彼女の業績は言うまでもない。
物理学者として大好きな研究に明け暮れ、後世に大きな影響を与える業績を残し、ノーベル賞まで受賞した彼女は、かつて物理学者の卵であった私にとって(私も院生の頃、有機薄膜太陽電池の物性について研究する、れっきとした『物理学者』だった)憧れの的だ。

学問をするということは、知識の量が増える。そうすれば広い見識で物事を考えることができるようになる。
ただし、これらはベースに過ぎない。
得た知識をもとにどのような発見をするか、どのようなモノを開発するかというのは研究者(もしくはエンジニア)のsenseによる。

これは私の持論だが、senseはある程度後天的に鍛えることが出来ると思う。
日々の些細なことに対しても、常にアンテナを張り巡らせて観察と考察を行う。
この積み重ねをやっているかいないかで、いざ研究(もしくは開発)の場に直面したとき、発想が大きく異なる。

こうした知的活動によって大きな功績を残すことは言い表せない幸福感に包まれるであろうことは言うに及ばない。


就職を機に私は研究者からエンジニアになった。
自由な研究の場を提供してくれる大学の研究室から、メーカーの開発部へと所属を移した。

そこにあったのは官僚主義であった。
官僚主義の会社が必要としていたのは知的活動を行うエンジニアではなく、笑顔で何でも言うことを聞く労働者であった。

少し前のエントリーでも書いたが、会社に入り知的活動を行う機会などまるでない。

今の部署に配属になり、プログラマーとして生きていこうと決意した。
それからプログラミングを勉強しているが、それを活かす場など与えられない。
『ソフト開発をやらせて欲しい』
という主張は
『どうせまだ出来ないだろ』
と一蹴される。

年度が変わり、仕事内容も少し変わりそうではあるが、この先どうなることやら。
エンジニアとしてのキャリアパスについて日々思い悩む。


今日は少し早く帰れそうなので、帰ったらJavaで作りかけているプログラムの続きを書こう。

札幌出張

この週末、4/6~7で札幌に出張へ行って来ました。

僕の部署はざっくり言えば、自社製品のIOT化を行うところで、今回は札幌にあるお客さんの施設に入れている設備に、IOT用の装置を設置に行くという仕事内容でした。
(営業さんだけでは不安なので開発部に作業してほしいとのことでした。)


装置の設置作業事態はお客さんの施設に何の影響も無いはずなのですが、念のためにと施設が停まってる深夜に作業することになりました。

そのため作業スケジュールは

6日 : 昼に伊丹空港出発し、札幌入り。晩御飯と休息をとって23時半に現場へ向けて出発。朝方に作業が終了し、ホテルへ戻る。
7日 : 起きて帰るだけ。

という感じ。6日のスケジュールを考えるとテンションは下がりましたが、7日は帰るだけなので夕方の飛行機を予約して、少しゆっくりしてから帰る予定にしました。


6日夕方に札幌入りして少し街を散策していると
『なんで今から仕事なんだよ~』
とやはり憂鬱な気分に。
サッポロビールを飲みながらジンギスカンでも食べて、その後はホテルへ帰って寝たかった(笑)

そういうわけにもいかず、味噌ラーメンを食べた後はホテルで少し仮眠をとり(寝坊が怖くてほとんど眠れなかった)、現場へ向けて出発しました。

今回の作業は1年間メインでやって来た仕事でしたし、同様の作業をする別の現場も経験してましたので大きなトラブルもなく27時過ぎに終了。
帰りに一緒に行った技術営業の課長さんからラーメンとビールを奢ってもらい、ホテルへと帰りました。

というわけで、仕事はこれにて終了!笑
今日(7日)はフリーの1日!何をするのかは事前に決めていました。


実は札幌に来るのは今回が2回目なんですよね。
約2年半前、秋の応用物理学会が北大で開催された際に、学会発表をするために札幌へやってきました。

研究室の仲間みんなで来ているので、当然夜はラーメンやジンギスカンを食べに行ったり、学会の合間や飛行機までの時間に札幌をぶらぶらしたりしました。

今回は1人で来て1人で帰るわけですし(技術営業の課長さんとは現地集合現地解散)、時間も限られてるのでその時にみんなと行った場所を巡りました。

テレビ塔に北海道庁、時計台にすすきのの街。

1人で来ているのに、その当時の事が思い出されて、当時の仲間とわいわいしているような気持ちになり、なんだか懐かしくてたまらなくなりました。

みんな、元気にしてるかなぁ。

同期が会社を辞めた

先日、同期が会社を辞めた。

会社に入れば誰しもが経験することだろう。

私の代はここまで、まだ誰も辞めていなかった。

あるものは
『俺達の代は優秀だな』
と語り、またあるものは
『誰が最初の1人になるかな』
と予想したりしていた。

彼の配属は東京で、京都にいる私はもう長らく顔を合わせていない。

彼の真意はわからないが、配属先(営業)がなかなかの激務で病んでいたと風の噂で聞いた。

彼の退社を聞いたとき、私は心の奥で少し
『羨ましいな』
と思った。

その真意は簡単だ。なぜなら、私も会社を辞めたいと思っていたから。

もうすぐ入社して丸一年になる。私は研究を捨て、就職したことを『後悔』以外のなんという言葉で表せばよいのかわからない。

会社の何がそんなに気に入らないのか。

仕事が面白くない、
金曜日の退社後は最高に幸せで日曜日の夜はこの世の終わりのような気分になる、
性格に難がある(馬が合わない)先輩がいる、
会社の体質が古い、

挙げればきりがない。

しかし、何が一番嫌なのか。その答えは明白である。

技術者として会社に入ったのに、技術を使った仕事があまりにもないのだ。

私に与えられる仕事は、派遣の女の子をやとってやらせればいいような、いわゆる雑務ばかりである。
雑務をこなしてくれる派遣の女の子をバカにしているわけではない。
それも大切な仕事である。
それをやらないと会社が回らない。

私が言いたいことは、私は技術者である。自分が全く携わってないプロジェクトに関する伝票を処理をするために大学院へ行って研究をしていたのでは無いのだ。

毎日毎日雑務の山を淡々とこなす。
当然、新たな技術などほとんど身に付かない。
そのくせ、時間はかかり残業ばかりの毎日になる。
何とか与えられた雑務の大半をこなす頃には新たな雑務が大量に降りかかってくる。


入社して以降、大した教育も受けていない。
やれOJTだ、仕事は手を動かして覚えろだ、などと新人研修をほとんどやらなかったくせに、実際与えるのは自分達のやりたくない雑務ばかりではないか。

そこに技術があったとしても、技術の深いところなど誰も教えてはくれない。

このままでは技術者として死んでしまうという危機感しかない。



私の会社は超大手ではない。

トヨタ三菱重工業などの、いわゆる超大手と言われている会社からすると資本金も桁が違うし、中小零細、町工場のようなものだと思う。

それでも、会社の規模的には大手に分類され、
保険の営業マンからは
『良いところへ勤めていらっしゃいますね。』
と言われ、マンションの営業マンからは
『お兄さんの会社ならローン組放題ですよ。』
などと言われる。

それゆえ、一応『大手企業』に就職したという安心感と慢心から、技術者としての自分の価値を高めようとしている人がなんと少ないことか。

そして若手に仕事を奪われる恐怖から、大した教育を与えず、面倒な雑務ばかりを『教育』としてやらせる。

結果、若手は仕事が楽しいと感じなくなり、技術が身に付かない焦りとストレスで日々思い悩むことになる。

自己採点

今日QC検定の基準解答が出ていたので自己採点してみました。

手法編: 45/49
実践編: 43/51
合計: 88/100

手法編での失点は、○×のとこで一問程度かなと思ってたので、4問も間違えていてショックでした。

実践編ももうちょいいけてるかな~っと思ってましたが、8問も間違えているとは…(笑)

(ひそかに)成績上位者の表彰を目指してましたが、お話になりませんでした!情けない!笑

ただ、とりあえずマークミス等なければ合格してそうなので一安心です。

これで基本情報技術者の勉強に専念出来ます。宣言通り早速昨日参考書も買ってきましたし。

下克上受験

今回の記事のタイトルは、ご存知の方も多いと思いますが、今クールにやっていた阿部サダヲのドラマ名です。

このドラマは、中卒の父親が自分のような人生を歩ませたくないと娘を日本一の難関女子中 桜葉学園(おそらく桜蔭のことかな?)に合格させようと、自らが勉強を教えて中学受験させるというストーリーです。

僕は普段あまりドラマを見ませんが、僕自身中学受験を経験した者として興味があり、このドラマを見てみようと決めていました。
この話、どうやら実話らしいですね!
これを機会に僕の受験話でも書いていきたいと思います。


僕は大学、大学院生時代にバイトで家庭教師をしていましたし、その中で人に何かを教えることが楽しいと思っていたため、将来我が子には高校入学まで勉強を教えたいな~と思っていたいました(さすがに高校内容はもう無理です笑)。

そのため父親が自分で教える、という内容にも興味がありました。

ドラマはいいリズムでストーリーが進み、また実話を元にしているだけあって、中学受験に挑む親子の葛藤が上手く描かれていたと思います。

特に最終回の1つ前の回、三学期に学校を休むシーンや受験本番の描写なんかを見ていると昔の自分を思い出して感情がたかぶり、泣きそうになりました。

結果、志望校に落ちてしまいましたが、レベルのそう変わらない難関校に合格できたみたいでよかったです。
これから大学受験に挑まれるとのことで、志望校合格を目指して頑張って欲しいですね!



僕自身、大した学歴を持ち合わせてる訳ではありません。
だから学歴の話が大嫌いです。いわゆる学歴コンプというやつです。

僕が中学受験をしたきっかけは、ドラマと同じような感じで、僕の両親はともに、大学受験の頃に浪人をしてまで志望校を目指したが、結局志望校には合格できず、我が子にはなんとしてもいい大学に行って欲しい、そのためにまずは中学受験で良い中学に入れたい、という思いがあったからだそうです。

中学受験をするために勉強を初めた頃は京都にある某有名難関私立校2校のうち、どちらかに受かって欲しいという両親の希望もあり、漠然とその2校を目指していました。
しかし、小学生の頃の僕はとりあえず頭が悪かった。いや、頭が悪かったと言う言い方は正しくないのかもしれません。
とにかく勉強しなかった。部屋に籠って勉強をしているフリをしては漫画を読んだりしてました。
それでも、毎週休まず塾に行ってノートを取り、最低限の宿題はこなしていたため、成績はそこまで悪くありませんでした。
(宿題といってもノートを見ながら問題を解いて○×をつけ、間違えたところは赤で答えを書いて終了、といった何ともいい加減なものでした。それでは何も身に付きませんよね。笑)


塾では入塾した小4の頃からずっと4クラスあるうち、上から2番目のクラスにいましたし、先生達からも
『今の成績なら、6年生になってからの追い込み次第で志望校は合格圏内ですよ!』
と言われていました。

しかし、その6年生が近づいてきた5年生の冬に成績がめちゃめちゃ落ちました。
理由は簡単で、5年生の頃から真剣に勉強を始めた子達の成績が上がり初めたからです。

その結果、僕は1つ下のクラスに降格という屈辱を味わいました。
さすがに悔しかったこともあり、少し真面目に勉強を始めました。

ここから大学受験に至るまで、僕にとって大きな壁となっていた問題に初めてぶつかりました。

それは、
『成績を上げるためにはどうやって勉強をすればいいのか、その勉強法がわからない』
ということです。

これは今、過去を振り替えって
『あの頃はどうやったら成績が上がるかなど何も考えず、闇雲に勉強していたなぁ』
と思うことから、後付けで言っていることであって、その当時に『どういう勉強法を取り入れたら成績が上がるか』など考えてもいませんでした。

とりあえず闇雲に毎週与えられる宿題を少しだけ真面目に解きました。

マンガやドラマで良くある、『努力すれば報われる!』ということだけを真に受け、何をどう頑張るかというプロセスを全く考えず、とにかく努力すれば賢くなれると思ってました。

それでも少しだけ勉強に対して真面目に向き合い初めた分、成績はV字回復をし、小6の春には元々いたクラスに昇格することが出来ました。
これに安心したのもつかの間、夏前には再び大きく成績が落ちてしまい、再び降格がほぼ確実な状況になってしまいました。
僕はどうしたらいいのかわからなくなってしまい、困り果てていました。

その時、母が
『一度環境を変えてみてはどうか』
と別の塾に移ることを勧めてくれました。

元々いた塾には小学校の友達もおり、再度降格する辱しめを受けるくらいならと塾を変えることにしました。

しかし、新しく行った塾は灘中などの合格者を多数出している塾で、レベルが高いことで有名でした。

実際入塾してみて、周りのレベルがめちゃめちゃ高いことや前の塾では考えられないほど先生が厳しいこと(とりあえずめちゃめちゃキレる!)に驚きました。

僕は怖じ気づき、恥ずかしくてそれまでの志望校の名前など出せなくなり、あっさりとワンランク下の中学に志望校を変えました。

また先生に怒られたくない一心で初めて自分なりに成績を上げる方法を考えました。

それが
『とりあえず丸暗記する』
というものでした。

子供の考えた浅はかなことでした。

とりあえず宿題を行い、片っ端から解法や答えを覚えていきました。

そのおかげか、小テストの成績は驚くほど上がりました。もともと社会が得意だったので覚えることは嫌いでは無かったみたいです。

模試の成績も少しだけ良くなり、塾の先生には
『(ワンランク下げた)志望校には十分合格可能』
だと言われました。

しかしながら、志望校にはあと10数点足りず、中学受験に失敗。

丸暗記するだけでは根本をしっかり理解しているわけではなく、ただの付け焼き刃だったのでしょうね。

結局、練習で受けた地元の私立中学と塾の先生から勧められた京都の私立中学しか合格出来ませんでした。どちらも『賢い』と言われるような学校ではありませんでした。

僕はどの中学へ行くのか選択を迫られました。
そこで下克上受験のかおりちゃんと同じく、僕も
『みんな受験したこと知ってるのに今さら公立になんて行けない 』
と思いました。

そして
『京都の私立ならみんなもわからないし大丈夫だろう』
と母校となる中学への入学を決意しました。

僕の母校は特進クラスのようなものを作って、進学実績を上げるために必死になっている学校でした。実際その努力により、東大や京大にも片手で数えられる程度は合格していました。
しかしながら、京都の人たちには公立高校の滑り止め私立というイメージが強く、名前を出せばバカにされるような学校だと思います。


中学入学にともない、僕は塾の中学部へそのまま上がり、高校受験での難関私立への挑戦を決めました。

中1からしっかりと塾のカリキュラムに乗って勉強を行い、また一応は私立中の授業を受けていたため、成績は基本的にずいぶん良かったです。

優秀な子達は中学受験で難関校に入学するため、実際ライバルはほとんどいなくなります。それもあり、僕は小学生の時は夢のまた夢であった塾の模試の成績優秀者にも名前が載ったりしました。
中学の成績も上位10%には常に入っていました。

そんな状況において、塾の先生からも
『小学生の頃、諦めた志望校の高等部になら確実に合格できる』
と言ってもらいました。

しかし、思春期真っ只中の僕には、その高校へ行くには大きな問題がありました。
その高校は校則が厳しく、頭髪は刈り上げか丸坊主にする必要があったためです。

塾の成績が良かったこともあり、
『今さらあんな学校こっちから願い下げじゃ。もっと偏差値の高い、自由な校風の学校に行ったるわ。』
と志望校を別の高校にしました。

そしていよいよ中3になりました。中2までは塾でも中学でも同じような内容をやっていました。
しかし、塾では高校受験に向けて本格的に受験勉強が始まり、中学では高校の単元の授業が始まりました。

そのため、二足のわらじを履くのはかなりきつかったですが、僕は必死に食らいつき、何とか成績をキープしました。

そして迎えた高校受験。

僕は志望校にあと3点足りずに不合格となり、無様にもそのまま母校の高等部へ進学することになりました。

受験直後はかなり絶望していましたが、いざ高校生活が始まればそれに慣れてしまい、楽しく過ごすことが出来ました。

部活や彼女や勉強、趣味など普通の高校生らしい充実した日々を送り、僕は結果この高校に来て良かったと思っていました。

正直今もその思いは変わっていませんし、母校のことは好きです。

勉強の方はと言いますと、高校入学当初から模試も生活が良く、定期テストも毎回しっかり勉強して常に上位にいました。

特に中学時代得意だった数学は高2の夏頃まで偏差値は70近くありました。

この頃からぼんやりと志望校を京都大学に決めていました。

やっぱり関西の人間にとって京大は憧れでした。阪大、神大には見向きもせず、
『やっぱり行くなら京大やな』
とぼんやりと考えたいたのです。

中学受験、高校受験を失敗していながら、高校入学以降の成績が良かったこともあり、自分にとったら、本気を出せば京大合格なんて大して難しいミッションでは無いように感じていました。

しかし、高2の秋の模試で、突如僕の成績は暴落。

定期テストの勉強は頑張っていましたし、その結果毎回上位の成績を取っていましたが、復習は一切やっておらず、テストが終わると内容はほとんど忘れてしまっていました。それでも模試の成績が良かったのは、中学時代の貯金があったからです。

その貯金が底をついたとき、僕の成績はとんでもない状態になっていました。

僕は焦って駿台に入塾し、死に物狂いで勉強を始めました。

そこで困ったことが、現役時代の大学受験の予備校の授業は自分で選択するため、高校受験までの塾のように入塾してカリキュラムに乗っていれば大丈夫!というわけではなかったことです。

そこで僕は僕なりに京大合格に向けてのプランを立てました。
まず受講する授業は苦手だった英語と人気講師のいた化学を選択しました。

そして毎日のように自習室に籠っては勉強に打ち込みました。

しかし、ここでも勉強法に『とりあえず目の前の問題を解きまくり、内容や解法を暗記する』というおろかな策を取ってしまいました。

暗記するにしても、どうすればより暗記できるかなどは一切かんがえず、ひたむきに量をこなせば覚えるはずだ!と楽観視してました。

しかし、この手法で成績を爆発的に上げるには大学受験は勉強範囲が広すぎました。

結局京大は2回ほどD判定が出た以外は全てE判定で、担任に神大などへの志望校変更を勧められるなか
『落ちたら浪人する覚悟はできている』
と強引に説得して京大に特攻。

見事に散ったのでした。

京大以外は考えていなかった僕は京大の合格発表の夜には両親に浪人したいことを伝え、許可をもらいました。
そして次の日からまた受験勉強を再開しました。

すると浪人生の春、ついに努力の成果のようなものが出てきました。

駿台の浪人生だけの試験では校舎の京大志望の中で5位、得意だった物理に至っては1位という成績を取ることができました。

また、5月の模試では初めて京大A判定を取ることが出来ました。

駿台の授業は学校のように時間割りが決まっているため、自分でいろいろ考えて勉強していた現役時代よりも受験勉強自体は楽に感じました。

その後、現役生の追い上げもあったのか、模試の判定はBとCを行き来していましたが、センター試験の点数もかなり高得点を取ることが出来、駿台のチューターからは
『自信を持って京大を受けてこい』
と言われました。

そして迎えた京大本番。

僕は数学の試験でほとんど完答することができず、結局その穴を最後まで埋めることは出来ませんでした。そして2度目の不合格。

そして、さすがに二浪は嫌だったため、受けていた中期日程の大学へ入学することになりました。

結局、僕は
『良い中学に入学させて、現役で志望校に合格して欲しい』
という両親の願いを何一つ叶えることが出来ず、ただの親不孝者となってしまいました。

両親や受験を影でサポートしてくれ、応援してくれていた祖父母には今も申し訳ない気持ちでいっぱいです。

浪人時代の僕はかなりストイックでした。

彼女も親しい友人も作らず、食堂などでたむろしている輩を横目に1人自習室に籠って勉強しました。

しかし、蓋を開けばそうやって彼女や友人と食堂でたむろしていた輩が京大に合格して僕は不合格という結果になりました。

この時、僕は理不尽だと感じ、そこで初めて自分のこれまでの勉強方法の何がダメだったのか真剣に考えました。

そこで効率を考えず闇雲に勉強をしていた自分に初めて気がつきました。

あれだけの時間勉強をしたのなら、もっと成績を上げる方法があったと思います。





リンカーンの言葉に
『もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうち6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう』
という言葉があります。

正にこの言葉は僕の受験失敗に対して送る言葉だと思います。

中学受験も高校受験も、そして大学受験でさえも僕は木を切ることに夢中になって、切れ味の悪い斧を使い続け、結果タイムオーバーになってしまいました。

僕の両親は決して裕福な訳でもないのに、僕のために勉強する上で最高の環境を与えてくれたと思います。

塾では各科目に対して最高レベルの講師が素晴らしい授業を与えてくれました。

しかし、どのような思考で勉強を行えばよいか、そのプロセスを教えてくれる人は一人もいませんでした。

僕は自分の不合格を誰かのせいにしている訳ではありません。
それらは自分で考え、自分で身に付けなければなりません。
僕はそれらに気がつくのが遅すぎました。

結果、難関私立高校にも京大にもあと一歩と迫りながら、
『公立高校の滑り止め私立から、宮廷の滑り止め大学に入学した平凡な学歴の男』
となってしまいました。


先日、彼女と彼女の友人、そしてその旦那さん(彼女の友人は既婚者)とご飯に行きました。
彼女の友人の旦那さんはずっと京都に住んでいた人で、今は中学教師をしています。そして、僕の母校が京都の私立だと言うと、学校名を聞かれたので答えました。すると、

『あそこめちゃめちゃええ高校やね!』

と言ってくれました。そんなこと言われると思わなかったので僕は少し嬉しい気持ちになりました。しかし、その直後に

『とりあえずめちゃめちゃ合格出してくれるから、教え子たちの滑り止めに最適やねん。てか、あそこから国公立行くってめちゃめちゃ無理したんちゃうん?受験勉強大変やったやろ?』

と失礼極まりない発言をされました。

こういったら何ですが、自身も大した学歴は無く、私大の体育科か何かを出た後に中学の体育教師になり、自分でも『頭の方は中学生の方が賢い』といって笑いを取るような男でした。

そんな男に僕の大学入学までの19年間の努力を全て否定された気持ちになり、怒りがこみ上げてきました。

彼女と彼女の友人が必死にフォローしてくれましたし(彼は悪気があって言っているわけではなく、少し抜けているとこがある、と。それで許す理由にはならんと思いますが…(笑))、僕も大人なので怒鳴ったりしませんでしたが悲しい気持ちになりました。

しかし、これが僕の置かれている現実でした。

僕はドラマで阿部サダヲが言っていた
『自分のキャリアについて聞かれるたび、中卒なのは家庭の事情だと説明しないといけない。』
という言葉は痛いほどわかります。

今回のように学歴の話になるたび、
『母校の高校は決して偏差値の高い高校ではない。ただ、もともと目指していた難関校にあと3点で落ちてしまい入った高校だ。大学だって京大に受かりそうだった。本番の数学がもう少し自分に合った問題だったら合格していた。』
と言ってきたからです。


もし、これから受験に向かう中学生、高校生諸君が何かの間違いでこのブログを見ていたら、僕のようにならないためにも今一度自分に問うて欲しい。

君は切れ味の悪い斧で必死に木を切ってはいないか、と。

QC検定2級を受験してきた

ごぶさたになってしまいました。

この間何をしていたかと言いますと、QC検定という資格試験の2級を受験するために勉強しており、なかなかブログ更新の時間を作れませんでした。

実はこのQC検定の4級と3級は秋に併願で受験して合格済(秋頃に『資格試験を受けた』と書いていたのはこれ)で、せっかくなので2級も取ってやろうとこの度受験することに至りました。

この2級、一昔前まではそんなに難しい試験ではなく、過去問を解き込んだら合格出来ると言われていた試験でした。
ただ、年々受験者が増えていき、それにともない難易度も上昇。2015年頃には合格率20%台に突入し、前回ではついに20%を切るという状態になっています。

というわけで、そこそこ気合いを入れて勉強しました。

今回メインで使ったテキストは
『日科技連』の『QC検定受験テキスト2級』というものです。

過去問は2008年、2013年、2014年、2015年、2016年を2回ずつ、計10回解きました。
(2009~2012年は、やっていると試験までに2016年の過去問を解く時間が取れないんじゃないかと思い、解くのをやめました。)

以下に勉強法を。

手法編は単元に分けて(実験計画法や回帰分析、統計的推論など)何度も解き、各単元のあらゆるパターンの解法を頭に叩き込みました。

実践編は3級の知識をベースに過去問でわからなかったところをテキストで補う感じで勉強しました。

この勉強法で、QC検定2級の中でも難易度が高かったと言われる2016年の2回分を初めて解いた時点でも、すでに8割5分は取れるようになってました(時間もだいぶ余ってました)。


おかげで、今日は自信を持って試験に臨むことができました。


感覚的には、2016年の2回と同じくらいの難易度か、少し簡単になったくらいかな?と思います。


手法編では、分析表なるものが出たときは焦りましたが(過去問では出ておらず、テキストにも単語が載っている程度でした)、落ち着いて考えたら解くことが出来ました。

他の単元も基本的な問題ばかりで、おそらく大きな失点はないと思います。

実践編は毎回毎回どんだけやっても見たことない問題が出ますね。自信ないとこも結構あります(笑)

ネットなどで答えを書き込んでる人の解答と照らし合わせたらだいたい8割はあるかな、といった感じです(これで落ちてたら恥ずかしすぎますが)。

しかし、過去問では常に8割以上取れてましたが、分析表など見たことない問題が出ると焦ってパニクりますね。頭が真っ白になりました。
こんな感覚は大学受験以降あまり味わった記憶がなく、やはり試験本番の緊張感というのは恐ろしいものだと感じました。

とりあえず、正式な解答がアップされる火曜日を楽しみに待ちます。(すごく気になるので…笑)


次は秋に基本情報技術者を受験しようと思います。

QC検定2級の勉強期間中は受験生の頃並みに勉強をしていました。
帰宅後や土日はもちろん、プログラミング講習などの出張の新幹線の中や、通勤の電車の中でも問題を解いたり、テキストを読んだり…
それが終わりやっと一息、という感じですが、鉄は熱いうちに打てと言いますので、早速明日は基本情報技術者のテキストを買いに行きます。


⬛QC検定2級 総括
・勉強を初めた頃はすごく難しく感じる。
・しっかりやり込めば過去問でも合格ラインの7割をしっかり取れるようになる。
・難易度を上げるためになのか、見たことのないトリッキーな問題が出るかも知れないが、焦らずにしっかりと解いていく

個人的にはしっかり勉強したら受かる資格だと思います。
合格率が低いのは難易度が上がってるからというのもありますが、単にしっかりと勉強をせずに受けてる人が多いからというのもあると思いました。
(僕の同期にも全然勉強せずに受けてるやつがいますし、会場でも『仕事忙しくて全然勉強できてない』的な感じの会話をしている人がいました…笑)



【追伸】
無事、QC検定2級に合格してました。

2017年4月21日

東京プログラミング旅行

25日水曜の夜から東京に行っていました。もちろん仕事で、ですよ!笑

昨年の夏くらいからプログラミング(Java)の講習に行ってきなさい、ということになってたんですが、なかなか上手く事が運ばず、今回なんとか受講するに至りました!
(今回は飲み会と被っていたため、飲み会好きの先輩からの『講習延期しろよ~』というかすかな圧力をはねのけての受講でした。)

定時後に新幹線に飛び乗り、1人東京へ。
去年の3月に、学生最後の学会に参加するため東京へ向かったのが、それが初めて1人で東京へ向かった日だったんです。
それから1年で何度か東京へ行く機会があり、1人新幹線にもすっかり慣れてしまいました。

社内で母がくれたパンを食べながら、これから起こることに思いをはせてました。

講習受けてみようかという話が出た夏ごろから、Javaを独学で勉強し初めましたが、よくわからないところが多くありました。その疑問を今回すべて解消してやろうという意気込みと、プロのプログラマーからどんな話が聞けるのかというワクワクがすごくあり、早く講習に出たいと今週はそわそわしてました。

また木曜日(26日)には東京の同期と飲みに行く約束をしており、そちらもすごく楽しみでした。

今回ホテルは阿佐ヶ谷に取りました。

講習会場が新宿だったため、当初新宿のホテルを探していましたが、

・条件がいいホテル(お値段がリーズナブルで禁煙室、朝食付き)のところはすでに満室

・空室のある禁煙室で朝食付きのところは高い

・リーズナブルなところは朝食付きではない

ということで、新宿から電車で10分程度の阿佐ヶ谷にすることにしました。

結果、ホテルは駅近で、フロント対応もよく、お部屋もリフォームしたみたいで清潔感があり、朝食も美味しくて大変満足でした。また、ホテルのフロントと隣のコンビニが繋がっているところもすごくよかったです。サービスでビールをくれたところもポイントアップでした。
ありがとうルートインホテル!笑

ただ、朝の南阿佐ヶ谷~新宿までの東京メトロ丸ノ内線の激混みは少々辛かったですが…(笑)


講習の場所は新宿だったので、どんなところかと思いましたが、新宿のあの喧騒から少し離れた静かなオフィス街にありました。

そんなこんなで講習1日目がスタート。

先生は物静かな感じの人でしたが、説明がとても丁寧で、具体例などを交えて話してくださったので、すぐに理解することができました。

また、事前に独学で勉強しておいたのも本当に役立ちました。

小学生のころから口酸っぱく言われた
『予習、授業、復習』
のサイクルはやっぱり大切ですね(笑)

お昼ご飯は近くの中華料理屋で担々麺を食べました。

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何を食べようかさ迷っていると、ここのお店から本場の中華の香辛料の匂いがして、兄と大学生のころに台湾へ行ったことを思い出し、懐かしくなり入ってしまいました。
黒ごま香る黒担々麺とのことで、風味がすごくよかったです。ただ、辛いものがあまり食べれない僕にはなかなか辛すぎました!笑

お昼の講義では、独学でやってたときによくわからなかった、クラスの考え方やオブジェクト指向についての説明でした。
もう一度言います。この先生は本当に丁寧な説明で、めちゃめちゃ理解することができました。笑

オブジェクト指向の途中で1日目の講習が終了。

新宿で同期と待ち合わせだったので、同期が来るまで歌舞伎町をぶらぶら。

いや~なんて街や(笑)

歌舞伎町来るたびに毎回思いますけども(笑)

同期と合流後、適当に居酒屋に入るもどこもかしこも満席。

週末でもないのに居酒屋がこんなに混むなんて、東京(新宿)はすごいな~と1人で思ってました。

なんとか滑りこんなのが、なんとお昼に続き中華料理屋さん(笑)

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この中華料理屋さん、値段は高いわ(一品1200円~くらいでした)、味は本場に近いのかクセが強いわで、結局すぐに出ました(笑)

近くのビルの居酒屋に移動。残業してた同期も加わり、結局10時半ごろまで飲んでました。時が経つのを忘れて楽しい時間を過ごせました。

28日(金曜日)は講習2日目、最終日になります。

オブジェクト指向の続きから始まり、カプセル化や継承、インターフェースなどを学びました。

独学ではそんなとこまで学べなかった…ってことも聞けて、やっぱり経験者から話を聞くのは大切だなと改めて思いました。

この日のお昼ご飯は油そば

よく考えたら関西では油そばってあんま見かけないですね!
前日うろうろしてたときに行列が出来てた店を見つけたので、行ってみました。

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率直な感想は…う~ん。微妙。

油そば自体をあまり食べたことが無いんであれですけど、普通にラーメンでええかなと思いました。

さらに店は狭いし汚いし(まぁラーメン屋なんてそんなとこが多いですが)。
何より、コップに水を注いだら口をつけてないのに油が浮いてたのは少し嫌でした。

なんか食べログの口コミ欄みたいになってますね(笑)

よく関西人が関東に行くと、飯が合わなくてつらいと聞きますが、こういうことなのかなと思いました。


ただ、講習会場の近くは落ち着いたオフィス街で、近くに公園もあり、いい感じのお店もあり、とても気に入りました。この日で終わりなのが寂しいくらいでした。笑

講習後は新幹線に乗るため東京駅へ。
久しぶりに東京駅を眺めてみました。


1年半くらい前に就活で東京駅に来たときは駅前を工事していたので、どんな感じになったのかなと気になったんですが、まだ工事が続いていました。

取っていた新幹線まではだいぶ時間があったので、早めようとしましたが、どの便も指定席はすでにいっぱい。。。

金曜日の夜を舐めてましたね!笑

なんとか自由席に滑り込み、京都へ。

道中、今回の出張のことを思い返してました。

上司や先輩に会うこともないストレスフリーな出張で、ホテルも良かった。
東京の同期たちにも出会うことが出来ました。
ずっと独学で勉強していたJavaについても疑問点を理解することが出来ましたし、講師の方もすごくいい方でした。
なにより、たまーに来る東京はなんか刺激的というか、僕が過ごす日常とは違う世界で、とても不思議な感覚になります。

出張は大変な事ばかりで、へとへとになることばかりでしたが、今回は充実した時間を過ごさせてもらいました。

そういう意味で、『東京出張』というよりは
『東京プログラミング旅行』
っていう感じで、今回のタイトルにさせてもらいました。